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自分の価値を決める覚悟

田植えの時期。
数日前から窓を開けるとお隣の田んぼでカエルが大合唱しています。

まだ涼しい風も吹いているので、風流です。なんて言うてるんやろ?


そういえば、約10年前、空前のカエルブームが自分に舞い込んでいたころに描いた「セルフポートレート」を思い出しました。


色を使えばなんとかなると思っていた時の、”自分の好き”を詰め込んだセルフポートレート。カエル背負ってる。しかも傘を持ってくれている。笑


この頃は、自分がイラストでお金を稼ぐ日が来るなんて、微塵も思っていませんでした。

専業的にイラストレーターというわけではありませんが、現在お仕事の延長でイラスト描かせていただいています。

初めて依頼がきた時は、図面を書くような職場環境の中では前例のない「イラスト作成」の案件だったため、私の設定した価格が指標となりました。

自分の描くイラストに価格をつけたことは1〜2度ありましたが、長期的にそして大量に描かせていただけたのは今回が初めて。



自分の手で生み出したものに価値をつける勇気

これが私にはどうにも難しい作業でした。

隣の芝が青くてたまらない自分には(*)、自分の手で生み出したものに価値を感じなかったのです。

その時抱いていた感情としては、

・自分より絵の上手い人はゴマンといる。

・価値をつけて「この程度で?」と評価されることが怖い

・価値をつけただけの責任を負わなければならない

・見返りを求めず描いている方がラクだ

・自分の作品を否定されることは、自分を否定されているのと同じ


こうしてみると、価値を感じなかったというよりは「価値をつけないでいる方が自分が傷かずに済む」という気持ちが強くあるのだと思います。

しかしひょんなことから、イラスト作成のお話をいただいて、これらと向き合わざるをえない状況となって、自分を守るだけの気持ちから「イラストそのものの価値」を考えるようになりました。

私がここで決めるイラストの価値は、自分のスキル云々ではなく、
「すべての絵描きさん、全てのクリエイターの価値を決めることにもなりうるのではないかと。」

これだけ払えば描いてもらえる・作ってもらえる 基準の一つになる責任。

傷つかないようにと安請け合いをしていたら、モノづくりそれ自体を舐められてしまうことになる。そうならないように、「自分の価値を決める覚悟」を持ったつもりでした。

そうしてしばらくは、自分の設定した「価値」の中でお仕事をさせていただいていました。

その後、作成したイラストは職場内での反響も大きく、従来使う予定だった用途からさらに拡充して、より幅広く、そして大量に使用されるようになりました。

「イラストがあるおかげで分かりやすくなった」
「提案書が作りやすくなった」
「イラストを選ぶのが楽しい」

そんなお声も聞こえてくるようになって、ものすごく嬉しい!!の反面、あまりの使用頻度と使用用途の拡大から、別の気持ちも湧いて出るようになりました。


結果的に安請け合いになってしまったのでは?


”欲が出た”といえばそれまでですが、実際別の方からも「あれは安すぎる」と案件を受けた初期に言われていたことでもありました。

当時の自分はどうしてもそうは思えなかったので、「これでいい」と思っていましたが、この1年間で描いたイラストは100カット以上。(初めの依頼は10枚程度でした)

いくつも”作品”を積み重ねていく中で、自分自身の中でも疑問が生まれてしまった以上、改めて、「価値の再定義」を迫られています。

明日以降、今までは大阪での依頼しかなかったイラストが東京からも「お願いしたい」という連絡が来ました。

本当に本当に嬉しいことだけれども、ここでまたプレッシャーや相手の心の声を想像して恐れていてはいけない。

怖いけれども、自分自身が今、あたらめて思う自分のモノ作りへの価値と向き合う機会だと感じています。

また結果をnoteに書こうと思います。


今以上に、自分のモノづくりの価値をつけただけの自信を持つことも大事!

そのためには当然、よりよいモノを作り上げる覚悟で挑みます。


最後までお読みいただいてありがとうございました!

またぜひ明日!


(*)ちなみに隣の芝が青いについて書いたnoteはこちら。

そしてこのnoteを書きながら脳内再生していた曲は、
BUMP OF CHICKEN / バトルクライ

ここが僕のいるべき戦場 覚悟の価値を決める場所

なつかしいね〜


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