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雷が鳴ったら、へそ信仰の伝道師が姿を現す

息子は雷がきらいだ。

遠雷がゴロゴロと鳴るだけで、慌てて寝室にかけこみ、身を隠す。

タオルケットの中から顔も出さずに「おうちの中にいるから、雷鳴っても大丈夫だよね!」なんて言っているのが滑稽だ。

しばらく様子を見ていると、突然、がばっと立ち上がり、必死に着ているシャツをズボンの中へ押し込みはじめる。

「おかあさんも!シャツ入れたほうがいいよ!こうすればおへそ取られないから!」

あ、そうなん?だいぶ対策ゆるめでいけるんやね。

「へそくらい取られてもいいよ」

息子の恐怖心は理解できるけれど、わざと芝居じみて付き合う気にもなれないし(基本的に冷たい人間なので)、そもそもへそとか別にもういらんしと思っているのでさらりと返す。しかし、息子は許してくれない。

「ダメだよ!おへそ取られたらダメ!」

「なんで?」

「大事だからだよ!」

なんで?マジでなんで?なんでそんなにへそ信仰篤いの?
へその用途、ちゃんと知ってるの?知ったうえでなお執着してるの?

なんつーね、身も蓋もないことを考えるのよ、わたしは。
どうりで友達少ないわけだよ。

そうこうしていると、息子を心配した夫が仕事部屋から顔をだす。

へそ信仰の伝道師でもある息子は夫にも言う。「シャツ、入れて!」

夫は素直に息子の言葉を受け入れて、思いっきりズボンにシャツインしてみせる。

そして天邪鬼のわたしはこの状況でもなお「へそ、いらなくね?」と言いだす。

「「いるよ!!」」

夫と息子がシンクロした。

「へそがなかったら、どっちが前かわからないじゃん!」

夫は息子をかばうことに関しては本当に天才だ。

「そうだよ!おへそ、いるんだよ!」

息子もしっかり夫に便乗している。

何なのよ、このやりとり。平和か。

いつの間にか、雷は鳴り止んでいる。

息子は今回もへそを取られなかったことにご満悦だ。

雷鳴という「大きな音」への恐怖が、へそ信仰のせいで余計に彼をパニックに陥らせるのじゃないかと思っているのだけれど、実際のところどうなのだろう。

自分のからだを守ろうとする、というのはとても大切なことだけれど。

息子が成長して、いつかへそを隠すことをしなかったとき、言ってやろう。

「信仰を捨てたのか!」

そう言って、困らせてやろう(悪だくみ)。

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