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幸田露伴・釣りの話「鼠頭魚(キス)釣り」

鼠頭魚(キス)釣り

 鼠頭魚は即ちキスである。その頭の形が大層鼠の頭に似ているので、支那(中国)では鼠頭魚と称すのであろう。俗に鱚の字をキスと訓ませる。鱚の字は字典などには出ていない。その根拠も知らない。しかし鰯や鰤の字と同様、我が国の人が作ったもので、喜に字にキスのキの音があるのに因って作られたものであろう。
 キスには二種ある。青キスと云い白キスと云う。青キスは白キスより大型で、その色は蒼味を帯び気性も強いようだ。「青キスは川で生まれ春の末に海底の沙(すな)に子を生む」と大槻氏の言海に出ているが、どうであろうか。確かかどうか知らない。海底の沙地で生まれるのならば海で生まれるのではないか。または川に産すという事が川で人に獲られると云う事ならば、青キスが川では殆んど獲られる事がないのをどうする。大槻氏の指すものは東京辺で云う青キスとは異なるのものか、不可解である。およそ東京辺で青キスというものは、春の末、夏の初めころから数十日の間、内海の底の浅い平らな沙地で釣って鉤に掛かるものを云う。また白キスは青キスの漁期より一ト月も遅れて釣れ始めるものを云う。青キスに比べると白キスは総てに弱々しくて、例えば彼は男のようで此れは女のようであるとも云える。
 キス釣りは、魚釣り遊びの中でも一風変わった面白味のある遊びだ。且つまたキスは魚の中でも姿清らかで見る眼にも厭味が無い。特に鱗にぬめりが無く身に生臭さが少ないので、たとえその味が美味で無くとも好ましい魚なのに、その味も脂濃くもなく淡泊過ぎることも無く、まことに食膳の佳品として喜ばれるものなので、この釣りの面白味も一トしお深い訳である。
 今年の五月の中頃、キス釣りの遊びをしようと思い立って、弟を柳橋のほとりの吾妻屋という船宿に遣り、来たる二十一日の日曜には船を空けて置くよう約束させ、ひたすらその日の来るのを心楽しみにして、日常の仕事をしながら一日一日と日を送っていた。
 待ち遠しい日々も経って見れば、明日はいよいよ二十一日という二十日の朝、いささか用事があって浅草へ行った帰りの途中、フと気付いて遊び用の釣り道具一式を買おうと思い二天門前に立ち寄った。これは家に釣り道具が無い訳ではないが、よりよい物を新たに買い調えて持って往けば、必ず漁の結果も良いだろうと思ったからである。書を能くするものは筆を選ばずとはともすれば人の云うところで、下手の道具詮議とは真(まこと)に能く下手の有り様を罵り尽くした言葉であるが、曲った矢では羿(げい・弓の名人)が射っても的中することは難しく、飛騨の匠も鰹節の小刀だけでは細工に困ることだろう。であれば、能く射る者は矢を爪遣(つまや)りすること多く、美しい細工をする者は刃を充分に研ぐ。どうして書を能くするものが筆を選ばないことがあろうか、またどうして下手だけが道具を詮議しよう。知るが善い。筆を選ばずというのは、ただ書を能くする者の自由自在な腕前を称えた言葉で、書を能くする者は必ず筆を選ばないという事では無く、また下手の道具詮議と云うのは、もちろん道具詮議する者即ち下手という事でもなく、下手だけが道具詮議すると云うのでもなく、下手な人が自分の道具の良し悪しを疑う事を指して云う言葉であるものを、浅はかで鼻先だけ利口な人々の多くは、二つの諺を引いて、その諺の意味も考えずに、筆を選び道具を論じて重大そうに当事者を嘲るのが世間の状態で、忌々しい我が国の人々の悪い習癖だ。手早く輝かしい結果を上げようとするのは卑しい愚か者の望みである。粗心浮気に、筆を選ばず道具も詮議しないで何が出来よう。筆を選ぶべし、道具を詮議すべし、魚を釣るなら釣り具を良くすべし、まして魚を釣り小鳥を獲るような遊びでは、竿の調子・イトの性質・ハリの形などを論じるのも、実は楽しみの中なのだ。嘗て釣りの道に精しい人々が道具を論じるのを聞けば、甲も中田と云い、乙も中田と云い、丙もまた中田と云って、釣り道具を論じて中田の名が出ないことが無いので、評判通りなら必ず良い品であろう、自分もまた折を見て買おうと、その店のあり場所などを調べて置いたが、直ぐにそれらしい店を見つけて、ここだろうとツと入った。
 名の通った店なので、店なども美しく売る品々も数多く陳列されて居ると誰しも想うだろうが、一見したところ品物なども少なく、店と云うより細工場とでもいうような状態で、「深く蔵して無きが如くす」という言葉さえ思い合わされてゆかしい。主人に向って「キス釣りに使う竿が欲しい」と云えば、「何日か頂ければ、お好み通りにどのようにも作りますが、今直ちに欲しいと仰せならお勧めできるのはこの二本より外にございません、この中からお好みの方をお取りください」と答える。「どうして、このように竿の数が少ないのか」と問えば、主人の子であろうか年若い清らかな男が、「注文で遣っていますので、売れて仕舞って何時もこの通りです。御心に適うものを御求めならば、事細かにお命じ下さい」と云う。良工の店であれば在庫の無いのも頷ける。自分の好みに作らせることは甚だ良いようだが、実は私が知るところよりこの店の主人の知るところの方が深く博いのは云う迄もない事、賢顔(かしこがお)をして浅はかな好みを云い出すのも恥ずかしい。且つは日も迫っているので、ここは寧ろこの店の主人が作り置いてあるものを買う方が、なまじ賢顔して好みを云って作らせるより却って好かろうと思い、「イヤ、私はまだ釣りの道に暗いので好みも分からない、ただこの店の品が良いと聞いて来た者なので、一も二も無く主人の勧めに従う、二本の中から私に良いと思うものを選んでくれ、価の高い低いは問わない」と云い出せば、主人も聊(いささ)か笑みを含んで、「では、これをお持ちください。私の口からは言えませんが、眼のある人は必ずこの竿を知っていましょう。貴方もまた使った後で、価が期待を裏切らない事が分かるでしょう」と云いながら、一本の竿を私に渡す。受け取ってつくづく見ると、竿に備わるべき幾つかの条件の一ツである重大な条件の節々の配りも大層良く整って、本から末に至るまで次第にその間が狭まり、竹の育ちもスラリとして捩れも癖も無く、特に穂竿は硬くなく弱くなくしなやかで、使わないうちから早くもその効用が想い遣られる。嬉しいことはそれだけでなく、竿の長さはキス釣りに使う竿の標準的長さがありながら、重さが今までの竿に比べて大層軽いのも嬉しい。満ち足りた心でこれを買い、ついでに私の知らない新しい事でもあろうかと装置(シカケ)一式を買う。
 イトやテグスなどに異なったところはない。ハリもまた昔ながらの狐形と紬形である。ただオモリは近頃の考えで出来たニッケルメッキのものなので光り輝いて美しい。これは外国の人が誤って銀の匙を水に落とした時に魚が集まって来たのを見て考え付いたという。光り物の付いた鉤と同様、これも光に集まる魚の性格に基づいたものと思いながら、家に帰る道すがら曇り空を仰いで、今はただ明日の雨の降らないことだけを祈った。
 その日の昼過ぎに弟が学校から帰って来て、自分の釣り竿やシカケなどを調べていたが、見覚えのない竿があるのに気づいて、「これは兄上が新たに買われたものですか」と問う。「そうだ」と答えると、「どこで買われたのですか」と云う。「お前が嘗て私に自慢した鮒釣りの竿を買った店で」と云えば、弟は羨まし気に眼を光らせて、右から見たり左から見たり暫く竿のアチコチを見つめていたが、やがて大きな声で、「よい竿を買われましたナア、これでは明日の釣りは兄上が最も多く獲られるでしょう、私等は遠く及ばない、しかし、それは兄上の釣りが私等より巧みな為では無く、竿の力、シカケの力の為で、私等にもこのような竿とシカケがあれば、まさか兄上に劣らない」と、おこがましくも言い罵る。「それほど明日の釣りに負けまいと思うならお前も新たに良い竿を買うが良かろう」と云えば、小躍りして出て行ったが、しばらくして帰って来たのを見れば、つまらなそうな顔をしている。「どうした」問えば、「売物が無いので、七八日過ぎてから来て下さい」と彼の店で云われたと、云う声も沈んでいる。「そうだったのか、では釣竿は買わないで帰って来たのか」と云えば、力無く「そうです」と云う。望みを失って勢いが抜けて、頭を下げて物思いする様子、傍から見て大層哀れなので、「そんなにクヨクヨすることは無い、釣竿を売る店はあそこだけではない。茶屋町か材木町かと思うが吾妻橋を渡って左に折れる辺りに中田という店がある、また広徳寺前には私の幼いころから知っている藤作という名高い店がある、特に藤作は世に知られよく使われている、あそこに行けば良い品を得られること疑い無い、同業者は互いに競い合うもの、藤作には藤作でまた好いものがあるだろう」と諭せば、ようやく元気が湧いて来たのか、「では」とまた家を出て行った。
 何時になっても弟は帰って来ない。朝から曇っていた空はついに暮れる頃から雨を落とし出した。ここ幾日となく楽しみ待っていた明日に、若し雨が降るようならどうしようと、軒の玉水の音を聞くのさえ心配で、幾度か縁側に出て、雲のたたずまいを仰ぎ見ては呟いていたが、しばらくして雨が小止みになった時に、弟がようやく帰って来た。こんどは先刻の帰宅時と違い家に入るや否や大きな声を上げて、「兄上、もはや明日の釣りでは兄上に負けません。兄上が三十尾獲られれば私は四十尾を獲ましょう。兄上五十尾獲られれば私は六十尾を獲ましょう。兄上に中田の竿あれば私には藤作の竿があります。私が下手か兄上が下手か釣りの道の技比べは明日です」と、鼻息荒く誇る。それには答えず、「ヨシヨシ、もはや灯りも点き皆は夕飯を終えた。お前だけが無駄ごとを云って腹をすかしている、マズマズ飯を食え」と云ってその竿を見れば、これも中々悪くない竿である。しかし自分の物は傘の雪も軽いと云い、他人の物は銘酒にも欠点を見つけるのが我々の心の傾向で、私は私の竿を良いと云い、弟は自分のを良いと云って、互に見褒め手褒めを敢てする。弟はまた袂(たもと)から紙包みを出し、その中から一ツのオモリを取り出して、「兄上が買われたオモリはニッケルメッキの品なので、陸(おか)ではよく輝きますが、水中では黒ずんで見える気味があり魚の眼を余り惹きません。私の買って来たオモリは銀色をした梨子肌のものなので、陸では輝かないが水中では白く見えて却って魚の眼を惹くでしょう。その上兄上のは円錐形で私のは球形です。円錐形や方形のものは水底で触れたり離れたりする時に、水底に立っては倒れ立っては倒れして、無用な響きが手に伝わって具合が悪い。球形のものは水底に触る時のただ一度、響きが手に伝わるだけなので大層好いと聞きます。いかにも道理ではありませんか、オモリは私が買って来た物の方が好いようです」という。云われて弟が買って来たオモリを見ると、銀色で上光り無く、球形で少し肌が粗い。弟の云うことも一応はモットモだが、光のことは水中の陽のところ陰のところでどう見えるか何とも云えない。また球形円錐形の説もモットモらしく聞こえるが、この頃のキス釣りではオモリを水底に触れさせたり離したり仕無いでもよく、ただ出来るだけ遠くに錘を投げ込んで徐々に手元に引き近づけるだけなので、響きの紛れの有る無しなどは無用の話だと思い、コレコレだから「お前の云うことは取るに足りない」と云う。弟は弟、兄は兄、互に言い募ってしばらく争うが、「では、明日私の言の誤りで無いことをお見せします。」「見せてみよ。」の言葉で争いは止む。
 雨はまた一トしきり木々も梢に音立てて降り来たって、夜は静かに灯火は黄に。兄は弟の顔を視、弟は兄の顔を視て、しばらく無言となる。明日の空を気遣って今朝方から人々に何度か問い尋ねたが、皆は「今日はこのような曇りだが明日は必ず晴れる」と云ったが、この様子では晴れるようには思えない。空頼みとはこのような時に云い出した言葉かと心中で歎いている時、雨の中を父上が参られた。
 「かねてからの御約束ですが、この雨では明日のことは覚束きません。まことに残念ですが天気のことは心に任せません。マズとにかくお休みください」と云えば、父上は打ち笑って、「空のことの測り難いは常のこと、歎くことは無い。しかし今これほど降っているのであれば明日は却って晴れる徴(しるし)かも知れん。儂の心では何となく明日は必ず晴れるように思われる」などと云われる。弟も私もこれに聊か頼もしく思いながらも、雨戸を打つ雨の音に心悩ましく思いながらシブシブ枕に着く。若し晴れれば夜の二時に船を出す約束なので、夢を結ぶか結ばないうちに目覚めて、静かに外の様子を伺うに、雨の音はなお止まず、庭木の戦ぎに風のあることを知る。今はこれ迄とそのまま枕に就いたが、流石に、もしかしたら今少しで晴れるのではとの未練に、直ぐには寝付かれずに居ると、思いは同じ、弟も何時にも似ずに目ざとく起き出して、耳をそば立て何やら考え顔をしていたが、やがて腹立たし気に舌打ちをして、夜着を引き被った様子が可笑しかったので、思わず知らず笑いを洩らす。その声を聞きつけて、「兄上も覚めて居られるのですか、この雨はまたどうして、こうまで降るのでしょう、口惜しいではありませんか」と力無く眠気に云う。私も余りにも面白く無いので答えるのも物憂く、「おう」と答えて、また眠る。
 もしかして雨が止むこともあるかとの思いに心は休まず、眠るとも無く眠らないとも無く時が過ぎて、何時しか我を忘れて全く眠りに落ちたが、「兄上、兄上」と揺り覚まされて、ハッと我に返れば、灯下の光がキラキラとして室内明るく、父上も弟もハヤ衣装をあらためて持ち物などを取り揃え、直ぐにでも出かける有り様である。「雨は止んだか、空はどうだ」と云えば、弟が「雨はまだ降っていますが霧雨です。雲脚が切れて空が明るくなれば、やがて麗しく晴れましょう。人々の言葉必ずしも空頼みではないでしょう。」と勇み立って云う。雨戸一枚を繰り開けたところから首を差し出して窺うと、薄墨色の雲の底に有るか無いかの星影が見える。なお覚束ないが希望もありそうなので、イザそうであれば船宿まで行こう行こうと、手早く衣装を更えて家を出る。
 三時を僅かに過ぎた時刻なので、我が家の門戸を引き開ける音も大層耳立って、近所の家々に御迷惑と思うほど辺りは物静かである。傘を差すまでもない雨、堤の樹々の梢の音をさせるほどでもない風、おぼろげな星の光、人の顔も定かでない明るさなど、なかなかにめでたい払暁の趣きを味わって、歌でも一ツと思いながら例の長い堤を辿る。私は竿を肩にし、弟は食料を提げ、父上は魚籠を持たれて、時々落ちる樹の下露に湿るのも厭わず三人して川沿いに行く。川面には霧が立ち込めて今戸・浅草は夢のように淡く、川幅も何時もよりは広々として見える中を、篝火を焚いた大層長い筏が流れ下る様子などは、画に書いたようで面白い。
 枕橋・吾妻橋を過ぎて、蔵前通りを南へ、須賀橋に差し掛かった時に、橋のほとりの交番で巡査の誰何を受ける。ただ一ト声、「釣りをするために通る者です。」と答えただけで、咎められることも無く済んだが、この辺りの地を我が家で持っていた昔もあったことであれば、一ト声でも糺されたことは不愉快で、詰まらぬ思いにかられたのも馬鹿らしい。
 吾妻屋に着いたが、時刻は思いのほか早くてまだ四時になっていない。小糠雨は止まないが雲脚はしきりに切れて、西の方の空はいよいよ明るく、朝風が涼しく吹いて心地よいこと此の上無し。私等が着いたのを見て船頭は急遽出て来て、柳橋の上にしばらく佇んで四方の空の様子を見廻らす。今日の晴雨を詳しく考えているのであろうと思えば、「空模様が悪ので、船を出すのは難しい。」などと云われたならどうしようと、傍から見ながら今更に胸が騒ぐ。船頭がやがて橋を下りてきて、「悪かった空模様も悉く変わって今は少しも心配ありません。雨は必ず上がりましょう。風も必ず善い風が吹きましょう。イザ船に乗って下さい」と心強く云えば、弟も私も笑顔になって父上と共々船に乗る。
 舫(もや)いを解いて水竿を突っぱり早緒を取って櫓を推し始めれば、船は忽ち神田川から大川へ出て、両国橋の下を過ぎて眺望の広い波の上の一羽のカモメとともに心のどかに浮かび下る。新大橋を過ぎる頃から雨がまたパラパラと落ちて来た。しかし船頭は少しも気に掛けない様子なので私等も驚かずに、火を起こし湯を沸かす。およそ船遊びは、貴人も富者も何くれと無く助け合って働くことを習慣とする。若し自分を高いとし、又は全く気付かずに何も仕無い者が居れば、気の早い船頭などはこれを達磨さまと云って冷笑する。手も脚も無いという意味であろう。また船の舳先の方に偉そうに坐る者を将監様と呼ぶ。これは江戸時代の水上の司であった向井将監にかけて云ったもので、将監のように坐って傲り高ぶるという意味であろう。達磨と云われる恐れはあるが、船を行(や)るだけでも一人前の働きなのに、その上飯を炊かせ味噌汁を作らせては余りに心無いことなので、馴れない手元も覚束ないが何や彼やと働く。その昔の一人住まいの頃のことを思い出し、下手で可笑しいかったことだけがやたら多く思い出される。
 風の向きも良くなった。船頭が帆を揚げる。永代橋を過ぎて後は辺りの様子も全く変わり、眼を遮る物も無い海原を眺めて心も伸び伸びとする。雨は全く収まって、雲の後に朝日が昇った東の空の美しさ、また紅(くれない)に、また紫に、また柑子色に、少しずつ洩れるその光が此の雲・彼の雲の縁を焼いた様子は、喩えようも無く鮮やかで眼も眩むばかりだ。雨の後の塵無き空の下で快い風に船を運ばせて、画も及ばない雲の美しさに魂を酔わせつつ、熱い飯・熱い味噌汁を味わうこの楽しさは、土だけに足を着けている人の知らないところである。「幸福多い船上の生活、日々今日のようであれば私は櫓を取り舵を操って、夕べの霧・旦(あした)の潮烟りの中に五十年の皮袋を埋めて果てようか」と我知らず云い出せば、父上は何とも云われずにただ笑われる。弟は幸いに物を食っている。船頭は聞えなかったようにキセルを咥えて素知らぬ顔。
 朝食を終えて心静かに渋茶を飲みながら、私はなお胴梁に凭れて限りない想いに耽る。詩趣来ること多く、塵念生ずること無し。声に出し漁父の詞を誦して、「素髪風に随せて揚げ、遠心雲と与に遊ぶ」と云うところになって、立って舞おうと思う。
 今さら言うのも迂闊だが都は流石に都である。昨夜の雨に大方の人は諦めて、今日は釣る人は幾らも無いだろうと思っていたが、釣り場に来てみれば釣り船の数は大層多く、中々数えられないほど夥しく、秋の木の葉のように浮かんでいる様子は、喩えば源平屋島の合戦を画に見るようだ。アア都なればこそ、都なればこそ、そぞろに都の大きなことを感じるのも、あながち私が愚かな為だけではなく、その場でその有様を見れば誰でも起こす感慨であろう。
船頭はやがて好しと思うところへ船を留めて、舳先に積んで来た脚立を海の中に下ろす。脚立は高さ二メートル位もあろう。釣り人はその上に跨って釣るのである。およそ青キスは物音を嫌い物影の揺らぐのも好まない神経質なものなので、船でも釣ら無いことはないが脚立に跨って静かにイトを下ろすのが普通である。仮にも酒などを飲みながら笑いさざめいて釣るようなことは、この遊びでは出来ないことである。しかし中川辺りの人々は一人乗りの小舟を漕ぎ出して、ここぞと思うところに錨を下ろし大層静かに釣って、その釣果は脚立釣りに劣らないと云う。それは幼女が流れに浮かべる笹舟のようにささやかで、波が舟の腹を打つ音もするかしないかという程なので、魚も流石に嫌わないためであろう。白キスはこのような脚立に乗ること無く、一ツの船の中で親子兄弟語らいながら釣るものなので、女などを連れるのであれば白キス釣りが好いと云う。
サテ船頭は早くも脚立を海の中に立てて、餌箱と魚籠を繫いだものをそれに結び付けて仕舞えば、弟が先ず釣竿を持って脚立の上に上り、「兄上が羨むよう、必ず数多く釣って見せます」と誇る。船頭は笑いながら船を漕ぎ出して、弟の脚立から五十メートル位離れたところに脚立を立てる。今度は私がこれに跨り、急いでハリに餌を施し、先ずこれを下ろした後に初めて四方を見ると、船頭は早くも船を数十メートル先に遠ざけてこちらの様子を見ている。
 弟はどうか、父上はと見ると、弟も父上も竿を手に余念無く水面を見つめた様子に、「更に憐れむ垂綸(すいりん)の叟(おきな)、静なること沙上の鷺の若し」と云う詩の句を思い浮かべる。父上や弟だけでなく、眼を遥か見渡す限りの人々が脚立の上に乗って大層静かに坐って居る。まことに脚の長い鳥の群れが水に立っているようで、また喩えば野原に写真機を立てたのを見るようだ。腰を休ませるところを除いては身の周りが全て水なので、傍から見ると心細いようだが、海浅く沙も平らなので、実は危ないことも無く、海原に一人立つ心地好さ、空から下ろす風に塵無く、眼に入る物に厭うべきものも無い。「滄浪(そうろう)の水に足を濯(すす)ぐ」というのもこのようなことかと微笑する。一身既に累無し、万事更に何を欲せん、ただ魚よ早く鉤に掛れと念じると、コツと手ごたえがある。サテコソと引き上げようとすると、魚は逃げようとして水中を猛烈に走る。その速いことは思いのほかで、鉤に付けたテグスが魚の走るに連れて水を切る音がキュウキュウと聞えて、竿は弓なりに丸く曲がったが、ようやくにして魚の弱ったところを釣り上げて見ると、十五センチ位の大きさがある。喜んで魚籠の中に入れて、父上は弟はと見廻すと父上の手にも弟の手にも既に幾尾か釣れた様子で、魚籠は長く垂れてその底が水に浸っている。サテは彼方でも獲れたと見える、釣り負けないようにと心を励まして、また鉤を下ろすと、またしばらくして一尾を獲た。
 一尾、また一尾と釣って正午になる頃、船を船頭が寄せてたので、それに乗り移って、父上と弟を迎え入れて昼食とする。昼食を終えた後、いま一ト潮と船頭は前とは異なるところへ行ってそれぞれ脚立を立てる。今度は潮頭(しおさき)なので忙しく、追いかけ追いかけて魚がハリに掛かって来て、手も眼も追い付かない有様だ。私はこのように善く釣れるが、父上や弟はと遥かに見ると、父上も弟も顔に喜びの色があるようなので、私も心満ち足りてひたすら釣って居ると、やがて潮が満ちて来て脚立も余したところ六十センチ足らずとなった頃、船頭が舟を寄せて来て、「今日はこれ迄です、またの日の潮に、」と云う。私等はこれに満足してそれぞれ船に戻って、その獲たところを比べると、父上が第一で、その次が自分、そのまた次が弟で、「年の順になったナ」と父上は打ち笑う。「それならば怨み無し」と弟も笑えば、私も笑う。船の帰りに順風を得たことは船頭にも嬉しいことだ。快い南風に帆を張って、忽ち永代橋、忽ち新大橋、忽ち両国橋と過ぎて、柳橋から車(人力車)に乗って家に帰る。その漁獲は数え合わせると百五十尾余りとなる。父上の喜び、弟の笑顔、妻子の漁獲の多さに驚く様子、何れも私の胸に嬉しく響く。
(明治三十二年五月)

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