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幸田露伴の随筆「春の土」

春の土

 春風渡れば花は舞い鳥は歌う。春水行けば魚踊り葦は芽ぐむ。空行く風や野を分ける水に限らず、土も春こそ美しく心好い。夏は卯の花腐(くた)しの長雨にミミズが這い回り、五月雨にモグラの穴も潰れ墜ち、総てにじめついて、庭先に心無い人の下駄の痕も醜く、小道に出来た溝の名残の汚れも見苦しい。青苔に蔽われた木蔭の水面(みなも)の眺めは、流石に懐かしくないことも無いが、やがて梅雨明けの天(そら)に祝融(しゅくゆう・火の神)はいきり立ち、草木を急き立てて、火の鞭を揮えば、砂は焦げ石はほてり、地の皮は乾き裂けて、占卜(せんぼく)者の前に焼かれた亀の甲羅のように、情けない姿を示すのも有り難くないかぎりだ。秋は雨の幾夜に落葉の山路は露を置き、椎茸・初茸・松茸の生え出るのも大層面白く、または夕陽は臙脂(えんじ)色に脂ぎって、楓の林を燦爛(さんらん)と錦のように彩るのも捨て難いが、猶もの悲しい雲の寂しさを受けた自然の地の色は哀れで、小草の早くも萎れて畝道に広まり行くのも哀しい眺めであるのに、まして小園の土の生々の力衰えて、朝の冷えや夕べの冷えに静まり勝るのをみては、土の神も鐘の音が胸にこたえ、露の香が腹に染みる夜は、二合半(こなから)の酒なども欲しかろうと思われる。霜柱の厳しく立つのも、意気地なく倒れたのも、或いは大路が凍て付くのも、芝生が赤ばみ枯れて、老女がたまたま白粉おしろいを粧(よそお)ったような霜の明け方も、冬は総てに唯もの悲しくも悲しい。陰の気は積もり積もって厳しく酷く、沈黙の徳に依って僅かに守るこの大地の有様は、たとえば聖賢が時を得ないで幽谷に名を埋め身を潜めたのを見るようで、一ツも好いところが無い。春はこれとは反対で、雪の間に緑が見え始め、陽気が次第に動いて水垢が浮いて流れる頃ともなれば、空に光り地に埋る鍬に長閑に掘り返されて、久し振りの光に会う田舎の畑の土の砕けたものから、奥様の柔らかな手に把られた草箒の緩やかな運びに撫でられた、都会の庭の置土の滑らかなものまで、自然な潤いに土も湿りをおびて美しく和らぎ、人の情(こころ)を温める。柳の雫は玉を落として、朝風に猶冷える川辺の土を安らかに濡らし、桜の吹雪は香を敷いて、昼下がりの日射し麗らかな土手の土も温かに乾かず、タンポポ幽かに飛ぶ酒倉の後の空き地、黄蝶ひそかに眠る紺屋(こんや・染物屋)の干し場の原、レンゲの野原、かげろうの河原、何れも優しみと軟らかみの姿を見せて、ただ楽しく悦ばしいのは、春の土である。
(大正二年)


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