幸田露伴の小説「幽情記⑧ 玉主」
幽情記⑧ 玉主
燕山の美人に劉鳳台(りゅうほうだい)という者がいた。桃の媚(こび)、柳の嬌(たおやぎ)、麗しい人も多い中に、新月の眉は細く匂やかに、初花の唇も紅(くれない)につつましく、年若く容色優れ、自然とひときわ勝れて見えて、名のある女もその辺りを避ける有り様であった。しかも歌声は鴬をあざむき、弦(いと)の調べは天雲を留(とど)め、机上に筆を執っても、小室で針仕事を為しても、万事に巧みであるが一身の貞操は大層固く、千金を投げうって鳳台を得たいとする者も数知れず有ったが、何事も無く何時ものように過ごしていた。
ある日、福清の林丙卿という者に会ってからは、風は猶も外へ誘うが蝶の心は既に定まる。丙卿は富家に育ち才賢く、風流で華奢、美人連にも名を知られ顔も知られていたが、眼識が高いので美しい金盆に凡花を貯えるようなことを願わずに、密かに似合いの伴侶を期していたが、今までは心に適う人も無く過ごして来て、一たび鳳台と会うや遂に願いが叶って喜び、夫婦の契りを交わし、ついに之を納れる。鳳台の美貌と丙卿の才能、二人相喜び、琴の意(こころ)に瑟の情、二人能く調和する。二人の間はどんなに楽しかったことか。九枝の銀燭は喜びに輝き、七輌の香車は希望を載せる。輿入れのその夜から、オシドリの翼、羽を交わして、ハスの花、帯を並べ、寝ても起きてもこれ笑い。酒にも茶にもすべて皆春、情の天(そら)は麗らかに晴れて、愛の日は長(とこ)しえに暖かであったが、仙界の園ではないので、霜に遇わない草は無く、人間の運も思い通りにならない時がある。丙卿は或る事で呉越地方の旅に出る。
丙卿が出掛けてから、珠翠(しゅすい)暗くして光無しという詞(ことば)を、古い詩の言葉と聞いてきたが、今や現実の事と感じ、鳳台は夫が出てからは鏡に対(むか)うのも懶(ものう)く、黒い髩(びん)は乱れ、紅(くれない)の閨(ねや)を独り守れば夜の灯は細く、やるせない情(こころ)は鬱屈して、尽きない憂いを訴える手立ても無い。天の彼方を見れば、星の橋はいたずらに光り、人の行方を思えば暗い道は遥かに遠く、ただ涙に暮れて日を送る。このようなうちに、玉の顔(かんばせ)も悲しみに艶を失い、柳の腰も憂いに瘦せ細る。秋には堪えない蝶の羽、銀粉は風に削られ、斜陽は寒く、哀れにも鳳台は思いに窶れ窶れて、ついに香魂は渺々として黄泉(よみ)に落ちる。
丙卿はこのような事を知るはずも無く、山河遥か遠く離れた旅路の涯(はて)に在って、或る夜、夢に怯えて、明ければ朝に悲しくも訃報を得て、愕然として面(おもて)を覆って泣き、取るものも取りあえず馳せ帰る。比目の魚は孤影を余して、双棲の燕は半巣(はんそう)を空しくする淋しさ。琴瑟の弦は断(た)えて続(つ)ぎ難く、唱(うた)は断えて止み、生の別れも哀しいが、死の別れのなお苦しく、遣る瀬無く悲しんでいたが、綿々と尽きない情(こころ)を表そうとばかりに、玉で主(かたしろ)を造る。中国の習慣で亡き人を祭るには主を用いる。主は即ち神の依るところである。栗の木や桑の木等で之をつくり、宗廟や家廟に安置して、これに物を供えて心から之を祭る。我が国の習俗の位牌は即ち主である。丙卿は多くの黄金を玉に替え、すり磨いて形良く造る。玉の光は潤い輝いても胸の闇は黒く沈んで、名を刻もうと思うが、未だ彫刻刀を手にする前に、断腸の思いは募る。辛くも造り終えて、また長短句の一詩を加えて彫り添える。
郎に随う 南北に 復(また)西北に、
芳草 天涯 遶(めぐ)り徧(あまね)くするに堪えたり。
の句がある。丙卿はこの玉主を身から離さず、錦の袋の中にこれを包んで、持仏のように何処へ行くにも携えて、山にも水にも捨てることなく、朝夕常に掻き懐いていた。世に惚れ込む人は多いがこれ程の例は聞いたことが無いと欺く者もあり、また却って憐れむ人もあり、語り草となる。反魂香の烟にこころを傷めた漢の君、遺愛の玉の簪に涙を垂れた唐の帝、恋しい思いには英主も愚かになる。惻々の情は募って詩人は狂わんとし、物を観て感じては酒の前にも涙あり、俤(おもかげ)に接し目覚めては、夢の後になお惑う。永年住む家に居て、昔のことを想う苦しさに堪えかねて、知らない郷(さと)に遊んで新しい境地で吟じるが善いと、丙卿は蒼梧地方を目指して万里の旅に出る。
コオロギが霜に啼く田舎家の夜は、灯火青く玉主白く、ラバが月に嘶(いなな)く山路の夜明けは、悲風襟に落ちてこころも凍る。旅路がどうして楽しかろう。駅々の数を重ねて彼(か)の名高い大江(たいこう)の辺(ほとり)に着く。汪々とした水は万古を流れて、茫々とした眺望に対岸は低い。舟を勧められるままに、神ならぬ身を船底に落ち着けるが、雨の日には風が加わり、愁いある人には禍(わざわい)が襲う。口惜しいは浮世の常で、丙卿を載せた船の主こそは、険しい波に中に魚を取り、渦(うず)成す流れの上で非道をする江賊(こうぞく)であった。
読書人がどうして江賊に敵しよう。哀れにも丙卿は財物を悉く奪われて、身命もまた亡われ、天に星は黙して江上の暗い夜半(よわ)、啼いて帰らぬホトトギス、声ただ闇に消え去って、寄る辺ない孤泡(はなれあわ)、形はかなく流れて行く。天知る地知るの諺はあるが、親無く子の無い人のこと、幽魂に力無く怨みを含んで畢(おわ)り、朽骨もの言わず怒りを呑んで滅するかに見えた。
ここに蒼梧の地方官がいた。官舎に在って睡眠中に夢とも現(うつつ)とも無く美しい人が現れ来て、眉を顰め瞳は恨みを帯びて、長袖に羞じを忍び、素衣に怯(おそれ)を隠して、物言おうとするような、訴えようとするような様子であったが、忽然と消えてしまった。覚めてはなお陰風が身を遶(めぐ)るようであった。粟肌が立ち、胸中うそ寒く、環珮(かんぱい・腰の玉飾り)の響きが耳に遺り、嗚咽の姿が目に浮かぶような心地がして、これはただ事では無い。起き出して見ると夜は静かに明けようとしている。これを推測するに幽魂が怨みを訴えているのではないかと、この地の悪人どもを多く捕らえ来て厳しく取り調べたところ、陳亜三という者が玉主を持っていた。地方官はこれを見て愕然と驚き、これは我が旧友の林丙卿の物、亡き妻を慕うあまりに美しく造らせて肌身離さず携えていたことは、かねてから知っていること、この者がこれを持っている理由はと厳しく問い責めれば、ついに自白し陳は処罰され、粤西(あつせい)の奇談として世の物語となる。死生は幽渺なり、美人の幽魂あらわれ出て夫の冤魄を救ったとは、卒(にわか)には云い難いが、ただ人の情の極みは人の理の尽すところではあるまいか、不思議なこともあるものである。
(大正五年一月)
注釈
・九枝の銀燭:七夕の祭の時、供物を置く台の周囲などに置かれた九本の燭台。
・反魂香の烟りにこころを傷めた漢の君:武帝の故事。
・遺愛の玉の簪に涙を垂れた唐の帝:玄宗皇帝の故事。
・比目の魚:比目魚は目が一つしかないので、二匹並ぶことで初めて泳ぐことができる。比目魚は二匹並んで泳ぐというところから、 夫婦の仲のむつまじいたとえ
・双棲の燕:夫婦の燕
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