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幸田露伴の小説「蟹売り」

蟹売り

 午後二時過ぎ、いやもう三時近くなろうという頃だ。秋を去ること幾らもない初冬の日射しが、まだ力は有るが何処となく淋しみのある光を、町幅に比べて丈の高い土蔵で南側をずらりと立塞がれている往来へ、ソーと投げかけられている。
 そうだ。いかにも日の光はソーと投げられているのだ。今日は至って穏やかな日で、風も吹いていない。家に居ては天窓から四角な形に天を見るばかりの家混みのこの辺の人々の眼に、入って居るかどうだか知らないが、青い空には薄い白いレースのような雲が、全く動くことなく、一ト刷毛(はけ)なすられて居るばかりだ。
 で、そのソーと投げられている日射しが、時の経過とともにソロリソロリと音もさせずに歩いている。もし音でもしたらシヨシヨとでも云うだろうかと思われる。ここは今極めて静かだ。静かだと云っても日本橋区の中だから、物音は始終絶え間なしに、何だか鈍い、複雑な、濁った、何の調子か捉えどころの無い響きを、四方八方からゴヤゴヤと伝えている。ただ大通りで無いのと、人行きが一寸途切れたというので、ツイ鼻の先の人形町や堀留が朝早くから晩までなにやかやと目まぐるしい中に、極々僅かな静けさを此処に見せているばかりなのだ。
 穏やかで、静かで、少し物淋しい、渡り鳥の大群でも渡りそうなこんな好い天気は、冬の初めには得てして有るものだ。そしてこれを名残にして霜だの時雨だの雪だの霙だのという陰鬱凄惨な時期に入ろうというのである。好い天気でも淋しい筈だ、田舎なら田の畔の榛の木の頂上(てっぺん)でモズが黄色い声を振り立てようという時節だから。
 この横丁の淋しいほどの静けさの中へ、今何処からともなくウソウソと出て来た男がある。
 ヨレヨレになっている汚れ切った、裾や褄先などのところどころが解(ほつ)れてモジャモジャしたものが垂れ下がっている。紺だか何だか分からない黒っぽい衣(もの)を着て、似てはいるけれども確かに右と左と違っている下駄、それこそ上げ潮で拾い取ったようなのを、垢が溜まり切って、皮の上にもう一ト皮被っているかと思われる赤黒い痩せた足に穿いて、河岸端のゴミ置場を見たら二つも三つも転がって居そうな腐った麦わら帽の糸が切れてバクバクしているのを、スッポリと目深にかぶって、キュッと庇を引き下ろしているから、顔はその肉の殺げた尖った顎に、不精髭の疎らに生えているのが見えるばかりであるが、蜜柑箱の古ぼけたのでもあるか、丁度それ位の大きさの箱に、不細工に紐を着けて持ちやすくしたのを持って、野良犬の歩きのように力も無く威も無く出て来て、やがてそこらを見廻して、そんなら好い位置を選ぶのかと云うとそうでも無いらしく、蔵の端の下にズクズクとしゃがんだ。犬の汚物が近くに在るのを嫌う意地も無く。
 男はサモサモ物憂げに力も何も無いという様子で、その細長い痩せた指とヒョロ長い爪がひどく目立つ手を緩慢に動かして、傍に置いた古蜜柑箱にしては少し大きい箱のその蓋をソロリと取った。
 中には入れ子になった同じような箱があった。しかしそれには蓋が無くて、そしてその中に入って居る汚い袋の水が浸み出した為か箱の内部は湿っていた。ただでさえ汚い古い箱が得体の知れないもので濡れている色と云ったら!
 ノロノロとそのまま中の箱を抜き出して、ユッタリと外の箱にまた蓋をして、男は身を半ば起こしてそれへ腰を下ろした。まるで老犬がグタグタと地べたへ寝るように妙にヘタリとなって、
 腰を掛けるのだ!奢ったものだ、殿様が御鷹野で床几を立てて御休みなさるという格で腰掛を持って歩いて御出でなさるのだ。
 それからユッタリと、例の入れ子になった箱を前に引き寄せた。箱の中には汚い袋、袋の上には木綿の縫い糸位の糸の一ト房が、不揃いでしかもヨレヨレになっている。抜き糸を纏めたのだ。紺の色が悪い。しかし怪しい、どこで抜き糸を売っていて、そして買って来たのであろう。
 雲の加減であろう、日がボンヤリして来た。男は喉ぼとけの飛び出している細長い首を縮めて寒そうに、痩せ尖った肩のそれでなくても窄んでいるのを一トしお窄めた。そして妙に長ったらしい生あくびを一ツした。
 糸の一と房は傍へ退けられた。汚い濡れた袋へ長い爪の長い手がノロリッと懸かった。
 シキシキソクソクというような音、いや音と云うよりは響きと云うような幽かな不明瞭な忙しい音が袋の中から起こった。袋は波打つという程でもないが異(あや)しく動いた。
 冷淡なものだ。何も構わない。火葬場の隠坊先生が白骨でも見るように。
 古手拭を合せて拵えたような汚い汚い袋を、男は左の手でノロリと引き立てた。袋の中からは又シキシキソクソクという響きだ。そして張られた袋は小さく動いている。
 袋の閉じ口は解かれた。中の物は四分の一程箱の中へこき出されるようにして出された。忽ちコツコツという響きが起こった。
 子供はもう四五人たかっている。男の薄のろい挙動が、しかし時計の短針のようにムラなく運ばれているうちに、何時となく一人来二人来三人来四人五人来て、子供はこの口も利かない旗も立てない、何一つ広告もしない顔も見せない男の周りに立ち並んだ。生まれつきの怒り上戸が憤激しきった真赤な色をして、そしてむずかしげにシャッチョコ張って眼を剝いて力んでいる。弁慶蟹は狭い箱の中をアッチへ行ったりコッチヘ行ったりしている。泡を噴いたり鋏爪を挙げたりして!
 一銭になった。弁慶蟹先生は、又一銭、又一銭、嗚呼都会だ。こんなものが銭になって行く。
 子供は途切れた。男はノロノロとここを去ろうと動き出した。
 日はまた明るくなったが、薄寒くなって来た。もう何時まで続く商売でも無さそうだ。
 バッバアという音がして、ドシドシと何か去った。自動車が何処かを過ぎたのである。面白いほど不調和な世界だ。
 (明治四十年十月)

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