見出し画像

幸田露伴の随筆「河水清」

河水清

 百水一帰(全ての水はやがて海に入り一ツになる)、その流れて行くものを河と云う。その始まりと終わりを見ると、その源の清く無いものは少なく、その末の濁らないものは甚だ稀である。これ雨が注いで下る、露が潤いて湛える、霜が結んで華(ひら)く、雪が布(し)いて玉なす、天から降るものは何故か皆清い。草の芽が緑を抽く、樹の枝が美しく張る、土の重厚なこと、巌の堅固なこと、地上に存在するものは何故か皆美しい。此の美しいもの彼(あ)の清いものを受け、彼の清いもの此の美しいものに与えて、暁の湿りや夜の潤いが、或いは浸み透り、或いは漸(すす)み徹り、或いは潜み、或いは溜まり、ついには微かに洩れて徐々に垂れ、岩を辿(つた)う雫はトクトクと落ち、葉隠れの細水はヒョロヒョロと流れ、やがて淵となり滝となり、山河となって響き鳴って下り、筏師(いかだし)が危うく竿を断崖に突っ張って通過する淵となり、川舟が霧の中を帆影長閑に行く流れとなり、片里を過ぎ、続き村を過ぎ、馬の嘶く街道の朝の渡し場を過ぎ、人騒ぎ車轟く都会の橋を過ぎ、ついに千艘万艘の沢山の出舟入船が、檣(ほばしら)高く秋の星を帯び舷(ふなばた)厳めしく、鬼が城を想わせるのを、朝夕に吞吐して悠々と海に入る。これが河の始終である。しかもその既に山を離れて未だ海に至らない河の名の付く時にあっては、黄波満々、濁浪滔々として、氷のように清く輝く源泉の性質を失うだけでなく、鏡のような碧潭の途中の姿さえ保てずに、汚れ穢れて濁り、土流れ、砂流れ、腐朽のもの、残破のもの、人が棄て去ったものが、浮き沈みして流れ、俗に云う大ゴミ中ゴミ茶ッ葉ゴミの小さいものまで、絶える間も無く次々と上から来て下へと行く、そのため、黄河は水が黄色いのでその名があり、恒河(ごうが・ガンジス河)は砂の夥しいことで知られ、世界の大河という大河はその汚濁に依って名高い。アア、何時何処(いつどこ)に河水の清いところが在ろう。しかしながら、支那(中国)の伝説では黄河の水上(みなかみ)は天の川に続くと云って之を尊み、インドの行者は自分の鼻の左孔を恒河に擬えて之を崇め、夫々の国の河は何れも尊崇されている。天地の生気は之に依って廻るとすれば、その清(す)む清まないを論じること無く、雨中の霊機が之に籍(よ)りて行われるとすれば、その濁る濁らないのを問う暇は無く、濁っても猶濁らないように、清く無くても猶清いように思えるのであろう。しかし清濁の相を欺(あざむ)くことはできない、汚濁の色は真(まこと)に蔽い難い。ここにおいて永く河水が濁ることを悲しんで、長流の直ぐにも清きことを想って聖人が興り、「国内泰(やす)らかなれば河水清く澄む」と云われたと昔から伝わる。まことに源は清い、これを汚さなければ長く清くあろう、それが汚れるのは泥沙が流れ入り、塵芥が投げ捨てられることによる。聖治上(かみ)より布き順民下に受けて、山には松柏の翠の蓋(かさ)が厚く蔽い、谷には杉が暗く茂り、野には楢や櫟の林蜜(こま)かに、村里には花果が豊かに生じ、雪の高嶺の岩鏡・苔桃から、下って熊笹・露笹・小篠・大篠の、組むと云う詞に冠らせる習いの笹が根が、組みに組んで生い茂り、あらゆる山草・野草・湿草・牧草が、地皮を蔽って隙間なく栄え、田のもの・畠のものが葉を敷き根を張り、立ち穂・垂り穂の勢いの盛んであれば、たとえ風に伴って雨が土塊(つちくれ)を打つとしても、地肌を荒らすことは無く、泥砂を洗い岸壁を崩すこと少なくて、河水が甚だしく濁ることも稀であろう。また、不美人は美人の資(たす)けと古人が既に説くが、腐朽残破な不用な物や汚穢醜悪な忌む物も、人が心を篤くして物に丁寧に接し事を正しく行うならば、或いは之を埋め、或いは之を土に変えて草木の肥料とし、或いは之を焚いて火と変えて天地循環の援けにして、妄りに川に捨てること無ければ、不用な物も皆無用の用を為し、忌む物も悉く愛すべき物となること、たとえば犬や猫の屍が柑橘の実を豊かにするようなことで、およそ人が棄て去りたいと思う物も道理に拠って理(おさ)めれば、河は既に芥無く物も無く、水は自ずから永く清かろう。河水は清く無いことを願わない。それが清まないのは、人が敢えて天地生々の徳に背き、山谷に利を漁り過ぎて、自他怡楽の道を忘れて、汚穢を流して稼ぐことに因る。河水清、河水清。アア、人も吾も願いは河水の清きに遇うにある。これは愚かな望みだと云えよう、だが誰が真情でないと云えよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?