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幸田露伴・釣りの話「櫂の雫」

櫂の雫

 昨日の夕真澄(日没前後)から今日の朝真澄(日の出前後)にかけて鬼怒川口で十二分の漁獲が有ったので、大利根の流れに随って櫓舵だけとって船を下げて来て、取手へ掛ったのは三時頃でもあったろう。それから直ぐに同行の子供を陸(おか)へ上げて、魚を持って東京へ帰らせた。というのは船のカメが小さい訳では無いが、何にせよ一尺二三寸のもの只二尾(にひき)を除いては魚が皆大きいので、小部屋に人が多いのと同様で、イキレが来てムレたため、勢いの悪いのも出れば既に斃(あが)ったのも出たから、それ等を疾(はや)く籠に仕立てて東京へ送って仕舞わなければ、可惜(あたら)美しい天物(天からの授かりもの)を愚かに扱って、労働と愉快の結果を疲労困憊と空虚にして、無意味なものにさせるからであり、また一ツにはエサが少なくもなったし、残ったエサも暑熱の折柄でだいぶ損傷(いたみ)が見えて来たので、新しいのを東京から持って来させなければならなかったからである。
 やがて子供は一旦船へ戻って来たが、買うようにと命じた銚子籠は持って来ないで、気透(スカシ)の粗く明いている魚箱を三ツほど提げて来て、船が着岸している砂の上にカッタリと抛り出した。銚子籠というのは銚子から生魚を仕立てて諸方へ出す竹製の編籠の長手のものを云うので、その長さは必ず二尺と定まっている。だからその籠へ入れてキッシリの魚を即ち二尺物で、一尺ハミ出す三尺の魚は一ト入れ半の魚と呼ぶ習慣にさえなっている。大利根流域は皆銚子魚の勢力範囲になっていて、昔から何処の宿でも皆その供給を受けているので、どこでも魚屋さえあれば必ず銚子籠は得られる。形式というものは自然と永い歳月の経験を基礎に成り立つ最良最適なものであるから、不思議とその銚子籠は、魚を扱うにも輸送するにも量を計るにもイキを好く保たせる上からも甚だ善いのである。なので、魚籠(びく)に入れるような小さな魚を獲ろうとしない私等は、最初から魚籠を持って船には乗らない。何時も獲物が有れば銚子籠を買って、野殺(のじ)めにすると直ぐにそれに篠(ささ)を敷いて魚を仕立てて持ち帰る。そうすると極暑の時でもまことにイキ好く魚を家に齎すことが出来るのである。ところが此れも時勢の変化か、近来は銚子の問屋も編籠を使うことが次第次第に少なくなって、その代わりに粗木の杉板を釘付けして底だけをスカシにした箱の、寸法は大概同じなのを使うことが多くなった。今もそのため編籠を得られなくて、木箱を取って来たのだから、それを見たコチラもオヤオヤと思う、子供も承知顔で抛り出したのである。
 パクリパクリとタバコを喫(ふか)していた船頭もこれを見て、
「籠は有りませんでしたネ。」
と云いながら船を出て陸(おか)へ上がったが、見渡したところ何処にも篠らしいものが見えないので困って躊躇(ためら)っていた。フと見ると右手の岸の小高い高みからなだれた砂地に、葭が一ト簇(むら)雑草に中に生えているので、
「好(い)いやな、葭の葉で間に合わせようじゃないか。」
と云うと、ノソノソとそこへ行って、パシパシと折り取って来た。篠のようではないが、鮮翠(まっさお)な色の潔い形状、まんざら敷いた光景(ありさま)が画にならなくも無い。
「好かろう、好かろう。」
と声を掛けると、船頭だけは箱を抱えて船に戻った。カメの上の板子(いたご)を払うと、肉張りの好い、蒼味をした丸っこい背の大きな魚が縦横に動いているが見えた。
「俺が掬(すく)おう。」
と玉網を執って掬うと、カメの中は急に水が騒いで、パシャパシャパッと水玉が飛ぶ。汗ばんだ襟から胸にかけてそれを浴びながら、一尾、一尾と上げる。
「巨物(デカ)は旦那、中々バタつきますからネ、そう追っかけて下すっちゃア。」
と聊か困っている。ナルホド箱へ入れても抑えていなくては直に暴れ出す、鰓の周囲(まわり)には船頭の厚い掌の皮をも傷つける鋭い棘があるのがこの魚の持前だから、迂闊には捉まえることが出来ない。そこで追っかけて差し付けられては弱るのも無理はない。後のを入れようとすると中で前のが跳ねてパタリパタリと遣っている。日の光が今蒼い背から白い腹にかけて鋼色(はがねいろ)を暈(ぼか)した魚の平(ひら)に射して、何となく顔付きにそろそろイカツイ可畏(こわみ)を持って来た五年魚の巨大な眼が、パッチリと黒水晶のように澄んでいるのが見えた。一ト跳ね跳ねて航外(そと)へ出られて仕舞えばそれ迄だし、そういう経験も無いでは無い。千里の海に続く生きた水を恋いしく思う魚の情(こころ)がその眼に読めるような気もするが、身を乗り出して船頭を手伝って、魚の大小を区分けして箱に入れ、最後の一ト箱を翠葭で覆って二ケ所結わえにして、
「サア、これで可(い)い。これを家(うち)へ届けて、家(うち)で食べる分だけ除(の)けて、残(あと)は松本様・杉本様・榎本様・栗本様へ、何時もの口上で献(あげ)るように、と云うんだよ。それから亀さんの家(うち)へ行って女房(かみさん)にナ、六にエサを一升持たせて明日に一番電車で来させるようにと云うんだ。」
と云い付ける傍から亀さんも口を添えた。「エサは何でも宜(い)いが、大ぶりな容れ物が好(い)い、冷(ひゃ)っこい水を沢山(たんと)張らなくちゃア不可(いけねエ)ぞ、下手な事を仕やがると電車で揺られて傷んで仕舞うゼ、と六の野郎にシッカリとこう云って遣って下さい。」
「オイ来た、分ったヨ、じゃあ叔父さん、御機嫌好う。」
 子供は淡泊なものだ。ポクリと一ツ頭を下げたが、ステーション(駅)に向って蟠りも無く歩き出した。雑草の翠が砂地の赤禿を埋め残して斑に見える、小高低する一帯の小丘の前に、無邪気な後ろ姿は黄ばんだ日の光を浴びて、独り彼方へと動いて行った。少し阿弥陀に冠った学帽の白い垂れ布ばかりが、糊がまだ利いていると見えてハッキリと目立つ。それを艏(おもて)の座に戻って苫の陰からノンビリと何気なく見送っていたが、風呂敷包にした魚の箱の荷物が大分重いと見えて、一度地面に下ろして手を換えて持った。自分が思わず亀の方を見ると、亀も胴の間の船梁に寄りかかりながら咥えキセルで彼方(むこう)を見送っていた。
「亀や、済まないが子供だし荷が少し強(きつ)いようだから、ステーション(駅)迄行って遣って呉れないか。」
気の毒に思ったが、頼むようにして云うと、
「宜(よ)う御座いやす。行って参りやしょう。」
ポンと船縁(ふなべり)でキセルを叩いてコロリッとそれを抛り出すと、もう潔く陸(おか)に上がって、尻バショリするが早いかドンドン歩き出した。七三に端折(はしょ)った裾の端からポツリと出た鳥居派の画のような足が、思いの外に速く操り人形のそれのように動いて、見る見るうちに遠ざかるのを眺めながら、心ひそかに、骨惜しみの気も無く快く走り出して呉れた振る舞いの下司根性で無いのに感心して、アア見上げたもんだ、言葉を下げて頼んだので仕方無しに動くものの不承不承に仕そうなところを、よく思い遣り深く気軽に起って行って呉れたことヨと、後ろ陰に称賛を与えた。やがて追い付いたのが見えた。何か話を仕ているようだったが、包を提げて亀さんが先に立った。二人の影はズンズンと動いて刻々と小さくなって、草が埋め樹が遮る間にしばらく見えていたが、終に全く見えなくなって仕舞った。
 エサの水を換えたり、傷んだのを棄てたりして、時のたつのを忘れている中に亀さんは帰って来た。
「丁度良いところでした、東京行が今出ようという前で。」
と話している途中に電車の音が聞こえて、それから程無く下流の鉄橋にその長い姿が見えた。あの中にあの子があの魚を持ってニコニコ乗っているかと思うと、思わず知らず微笑まされるのであった。
「あの坊ちゃんも釣ったんですからキット嬉しいことでしょう。だが先刻(さっき)は重がって弱っていましたゼ。ハハハ。」
亀さんも聊か得意の体(てい)だ。自分の職業(しょく)でも獲らせた時は獲らせない時より余程心持が好いと見える。
「お前が巧く世話を焼いて呉れたからサ。」
「何、そういう訳でも有りません、一体が巧者なんですネ。何でも今までに他の魚を余程獲った経験(おぼえ)が有るんですネ。」
「そうさ、この魚は初めてだがケイズなんぞは大分経験しているのだから、まんざら魚が扱えないのでも無いよ。」
「好うござんすネエ、十五や十六で道楽釣りの腕があのくらい撚りが利いいているようじゃあ。」
つくづくその平生の幸福を羨むように聞えた。
「何だい亀や、羨ましいのかい。」
意地悪を云ったのでは無いが、自然とからかうような調子で云うと、亀公は或る感に堪えない様子で、
「羨ましゅうございまさア、家(うち)は好し、学問をさせてもらって、休みになりゃア天下晴れて遊んで、それであの年であれだけ遊びの功を積んでいる位ですもの」
とシンミリと言外に情を含んで云った。
「いけねえぜ、老人(としより)ッ臭いよ。吾が身の昔に引き比べて居ねえか、ハハハ。」
「ハハハ、お手の筋じゃア困りますネ。」
話しはそれで絶えて仕舞った。
「どうしましょう、これから。」
六がエサを持って来る明日の朝までの間をどうしようと云うのである。
「どうったって別に好い考えは無いやナ。下っても大堀迄は好い場所は無いんだし、今さらこんなケチなエサを持って上へも行かれないだろう。それともお前、馬鹿骨を折って、もう一度上手へ踏ん張るかネ。三ツ堀でお前にオイデオイデ仕て居るとサ。」
「ハハハ、旦那揶揄(からか)ちゃアいけません。これから鬼怒川を覗けなんて言われた日にやア、大抵明日の朝真澄で無くちゃア間に合や仕ません。亀公は途中でヘタバッテ仕舞いまサア。」
「ハハハ、そいつア豪気だ、ヘタバッテ仕舞いねえな。名誉の戦死だ、骨は拾ってやらア。」
「ハッハッハッ、こりゃア堪らネエ、乃木さんに使われちゃア遣り切れませんヤ。」
「金鵄勲章よりタバコが好いカネ。」
「マアそうですネ、私(わっし)も欲が無いから。」
「いいよ、分ったよ。その気で付き合おうぜ。」
「ハハハ、本当にどうします。冗談は措いて。」
「どうもこうも無い、今日はもう休みだ。直ぐそこに見えている江戸方のキリッポのナ、」
「へエ。」
「あそこ等で夕真澄をやってみるんだ。一二本も拾えりゃあ豪気なもんだ。獲れなくたって当然だから焦ることも無い。」
「宜(よ)うございます、でかけやしょう。拾えるかも知れません。」
「余り当てにゃあ仕無いのが洒落者だろうさ。」
「でも、お仕着せだけは当てにしますぜ。」
「ハハハ、おいらア忘れるかも知れねえよ、欲が無いから。」
「ズドン。旦那、やられました。ハハハハハハ。」
 戯れながら、舫杭(もやおくい)を抜いて流れへと突っ張り出した。日は次第に西に傾いて、川面は眩しく明るいが、遥かな空の夏雲の色は何時しか黒味を帯びて来た。流れを横切り上手(かみて)へ差し上って、目指すキリッポ前で舫杭を突いた。これからの運は時だけだ知ると、先ずハリにエサを着けて水に抛り込んだ。船頭も同じことを仕て置いて、サテそれから夕暮れを待って居る。十分、二十分、三十分、一時間。だんだん時は移ったが、何一つハリに掛らない。その間にボーッと日は暮れかかって来た。
(明治四十年一月)


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