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幸田露伴・釣りの話「かいづ(カイズ)釣の記」

かいづ(カイズ)釣の記

 九月二十二日、カイズ釣りにと大層早く家を出る。未明の空は猶まだ暗く
堤の樹影も黒くも黒く見える中を、二本の竿を肩にして往く。川面を見遣れば霧の白く立ち籠めた間から、筏が下るのか篝火の光が紅くチラチラと洩れるなど、昼には見られない面白さがある。やがて番場と云う船宿に着いて、閉まっている戸をホトホトと叩けば、内から明らかな声がして、「家の後へ廻って下さい、船はもう準備してあります。」と云う。承知して家の横手から川岸に出れば、裏口で待って居た主人は小腰をかがめて、「よくぞ御出で下しました。サア直ぐに船にお乗りください。準備は仕てあります。」と笑顔で誇る。こちらも負けじと誇らかに、「巧い時に来合わせたものヨ、我ながら賢い、賢い」と笑いながら船に入れば、主人の年若い妻が、「ホントにお客様は好い時にお越しです。今やっと済んだところです。」と云い終って、声高くホホと笑う。主客三人の笑い声が終わらない中に、主人は船に上って舫(もやい)を解く。その妻は「善い海幸を」と祝(ことほ)ぎ送る。船は忽ち岸を離れた。
 厩橋・両国橋・新大橋・永代橋を過ぎて、月島に沿って行くうちに、やがて夜は明けたが、雨の降りそうな空模様で、八重垣立ちした雲に蔽われて日の在りかさえドコとも知れない。振り返って、来た方を見れば、川口には濃い霧がモウモウと立ち籠めて、何となく心も晴れない日である。しかし幸いに風が無いので帰る気にもならず、七番瀬と呼ばれるところへ船を留め、舫杭(もやいぐい)を立ててこれに繋ぎ、ハリに餌をつけてイトを垂らした。
チヌや黒鯛などの釣りに使う餌は昔から最近まで小エビが好いとされている。小エビには小作・白手・間口・藻エビなどというものがあり、佃(佃島)の者がこれを生かして置いて釣り客の求めに応じたのは、人の広く知るところで、中でも間口エビが最も好いとされ、貴人も黒鯛釣りでは自らその尾を咬み切り棄てて、尾の方から鉤を刺すことが普通である。小エビの他には、指先ほどの小蟹・ムキ蛤などを使うことも有るが、明治になってからは羽田の漁師に倣って、袋イソメと云うものを使うことが盛んに行われ、今は小エビでさえ使う者はいない。まして蛤などを使う者などは広い海の中に一人もいなくなった。袋イソメの状態はキス釣りに使うイソメと少しも異ならないが、その太さは頭の方では箸位もあり、その長さはおよそ五六寸で、その色は緑光を帯びた赭褐色とでもいうような厭らしい色をして、腐りかかった布のような怪しい袋の中に蓑虫のように潜んでいる。これを使うには袋から抜き出して六七分の長さに切ってそのままハリに刺すのであるが、頭の方はやや堅く尾の方はやや軟らかい。この虫は一見するところ大層気色悪いので、これを切る時に出る濃黄色の液は、さぞかし悪臭かと思いきや、無臭なのは意外である。またこの虫の頭には角のように突き出たものが二ツあって、その形態は例えば土人の頭に鳥の羽の二三枚を付けたのを見るようで、これもまた一奇である。人が見てまことに好ましくないものであるが、魚の口にはどれほど美味いものに思われるのか、これをハリに装着すると小エビや小蟹を使って釣るのとは雲泥の差があると云い囃す。なので、この虫の価もまた高価で、一銭で二匹三匹ほどであるが、遠く羽田から来るもので此の辺の海では出ないものなので、高価もまた咎められない。元来が水中に生じるものなので潮が退いた時で無ければ獲ることが出来ない。それで大潮の時は良いが小潮の時は潮が退くのも少ないので、これを獲ることが出来ないから、名高い釣り餌問屋のえさ長・えさ嘉・えさ清などでも在庫が全く尽きることがあって、そのような時は舟あって船頭が居て日和が好くて潮が都合好くても、「残念ながら餌が無い」と歎くだけで、小エビを使おうとする者の居無いことで、どんなにこの袋イソメが今の世の釣り客に使われているかが推測できる。唐の杜荀鶴の釣叟を詠じる詩に、「田を耕さず、地を鋤かず、誰人(だれ)が間散として渠(かれ)の如きを得る、渠は底物(なにもの)を将て香餌と為し、一度竿を抬(あ)げれば竿に一箇の魚」とあるのは人の知るところであるが、一度竿を上げれば竿に一箇の魚とあるのも、この虫を餌とする時には珍しく無く、「渠は何物を以て香餌と為す」と訝り問う必要もない。
 船の中は私と船頭だけなので、誰に憚ることもなければ、舳先(へさき)に坐って心静かに竿先を見つめる。(ボラ釣りは船の艫(とも)で釣るが、カイズ釣りは舳先で釣るものなので、友がある場合は譲って坐るのが善い)。カイズ釣りの常習で潮の流れに沿って船を繫ぐので、潮は今、艫の方から舳先の方へ流れている。殊更に舳先から先方へ遠くオモリを投げて置いて、竿を船べりに斜めに架けて置くと、柔軟で強い竿はその先が少し弓なりに曲り撓んで、イトをピンと張っていささかも弛まない。「早く魚が来て餌に触れ、少しでも触ればその響きは竿先に来るハズ」と、固唾を呑んで待てども待てども魚は来ない。もう一本の竿を取り出してハリに餌を付け、これを水に投げようとする時、前の竿の先がピクピクと動いたので、急遽手の中の竿を捨てて、置いてある竿を手に取るや否や「心得た」と竿を上げたが、少し機を逸したか何かの手応えが幽かにして、イトの先にはハリが空しく付いているだけ。「これは口惜しい」とまた餌を付けて後の竿とともに二ツの竿をしばらくは余念も無く見守って居た。
 船頭もまたイトを垂れたが、私に向って静かに声を掛け、「惜しいことをされましたナ、もう少し竿が早ければ獲れましたものを、合わせが僅かに遅かったので逃げられました、カイズ釣りは特に合わせに注意して、その機を外さないように仕ませんと、素早い魚なのでこれを獲るのは難しいでしょう、およそ竿先がピクピク動くのは魚が餌に触る響きでして、次にクウと引き込まれるのは魚が食い付いた時なので、竿先が撓んで水に着こうとする機(おり)に、すかさずに合わされれば良いでしょう、三才四才の大きな魚は或いはピクピクと竿を動かさずに突如ズウッと退くことがあります、その時はまた注意して合わせて下さい、イサキ釣りなどと違って、竿を手にしないで居るものなので、少しでも竿先が動くのを見たらすぐに竿を手にして、機を見て合わせて下さい。」などと語る中に私の右の方の竿がピクピク動いた。「魚が来たようだ」と答えの言葉も待たずに、「ここぞ」と心を躍らせて竿に手を掛けて食い付くのを待つ、この時の楽しさは喩えようも無い、恋も無常も忘れ果てて邪念の無い童心の昔に還り、また世に何の悲しむことも憂えることの有るのもを知らない。やがて船頭の言葉のようにクウと竿先が引き込まれて殆んど水に着こうとする、「シメタ」とすかさずツと合わすと、手ごたえ明らかにハリが重い。「知らず何者か吾が鉤を呑める」と云う唐の詩人の句を今更に思い浮かべつつ、イトを緩めずに竿を上げれば、竿は弱々と三日月の影を欺き、魚は溌剌と狂いながら銀鱗は波を打って現れ来る。急いでこれを獲り入れてハリを外して「かめ」の中へ投げた後、初めて破顔微笑すれば、船頭もまた一尾を釣り、眼を見合わせて微笑する。これから二時間ばかりの間は、我一尾、彼一尾と、互いに劣らず釣ったが、やがて潮だるみとなって、魚のあたりが無くなったので、舫杭を打ち換え船を繋いで、時刻は早いが昼食をとろうと休憩にする。
 空は尚怪しく曇っているが、幸いに悪い風が無いので心強いものの、釣りの面白さに捕らわれずに、四方の景色を見渡すと、薄墨色の雲が低く垂れこめて、房総の山々は猶のこと西北の山々も見えない。時々冷たい風が微かに落ちて襟元が涼しく感じられ、今に一ト雨来そうで中々安心できない。茶を沸かし、弁当を開いて、妻が海幸あれと祝って入れて呉れた「とり」の塩煮をおかずにムスビを食べながら、幾度か空を仰いでは、「あの雲が無ければどんなにか楽しいものを」と不満を洩らす。
 昼食を終って、またイトを垂れる。今度は潮の流れも船の繋ぎも変わったので、陸の方に向って竿を出す。私の竿にも船頭の竿にも、或いは大きなもの、或いは小さいもの、或いはカイズ以外の大ウナギ、或いは思いがけない三才ゴチなどが掛かって、その面白さに我を忘れていたが、船頭が急に立ち上って、「雨が来ます、雨が来ます、雨雲が頭の上に来ては逃げるところがありません。苫(とま)を葺くのでお手伝い下さい。」と云う。知らないことなので覚束ないが、船頭のするのを見習って苫を葺く間も無く、ザッとばかりに雨が降って来た。狭い表の間の上に苫を葺合わせたので、雨は飛沫さえも掛かること無し。「カイズ釣りは、釣りの遊びも多い中に卑しからぬ遊びなり」と、世間の人が云うのも実に実に嘘では無い。夏の熱い日は日除けの苫の下蔭涼しく、爽やかな海風を袂に吹かせて釣り、今またこのような秋の日の村雨の降る中でも蓑を着ることなく釣るのは、実に貴人のするような釣りだと思いながら、眼は竿先を少しも離さずジッと見つめていると、忽ち一気に竿先を水中に引き込むものがある。「好き敵御参なれ」と軽く合わせると、強(たし)かな手応えがあり走り狂っているようす、「得たり」と竿を上げると敵もさるもの、中々こちらへは引かれて来ない。苫が庇となって長く出ていて、腕は延ばす限界があり、働き難い狭い間で三メートルもの竿を片手で使うのは難しく、しばらく魚と人は争ったが、魚の勢いようやく弱まって、この時丁度雨が強まり激しく降る雨の中を尾鰭を怒らせて暴れるのを船端近くに引き寄せれば、船頭すかさず及び腰にタモで掬って遂に上げる。バタバタと暴れる魚を引捉えて見ると、大層大きくて今日釣った中でも抜群なので、嬉しく思う情(こころ)止め難く、日頃から好む、「朱衣の鮒足りて簔に和して睡る、誰か信ぜん人間利名あるを」と云う皮日休の詩の句を誦し出して笑う。
 雨はいよいよ激しくなり洲崎や越中島さえどこか分からないほど煙り籠めて、まして芝・高輪・池上などの方向は更に見えず、陸地というもの更に見えなければ、数百里の海中に漂うようで、これから雨風はどうなって行くのやらと思うにつけ流石に心細くなって、潮さえ強く差し盛り、魚の餌つきも悪くなったので、「釣りはもはや満足、何時までやっていても仕方ない、この潮に乗って帰ろう」と云い出す。船頭はこれを聞いて笑い、「そんなに気を遣われなくても雨はやがて一度は晴れましょう。しかし魚が餌つかなくては永く居ても仕方ありません。雨が止んだら船を返しましょう」と云って、ボツボツと自分の竿などを取り収めていたが、果たしてしばらくして雨がやや小降りになったので、直ちに舫杭を抜いて漕ぎ出し、潮に乗って早くも番場に帰る。
 舟の「かめ」の中の魚を掬って私の魚籠に入れるが、一ツとして死んだものは無い、皆溌剌として勢いがある。これに私も勢いを得て、その重いのも厭わないで之を左に提げて、右には竿を肩にして、心いそいそと今朝の未明に辿った道を戻って我が家に着くや否や、歩きついでに七尾(しちび)を選んで父上の方へお持ちして、引き返して家に帰って初めて休む。父上のお言葉、妻の笑い、どちらも私には楽しい。ましてこの日の夕べの膳は汁も膾もすべて鯛、犬にも一尾を与えて、主人の喜び知るが善い。
(明治三十三年九月)

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