見出し画像

zine『推察の推察』振り返り

昨年の10月に、友人の世菜さん と共作で「推し」にまつわるzineを作りました。
私はK-POPアイドルグループSEVENTEENの“箱推し・布教欲オタク”、世菜さんは某声優の“ガチ恋・同担拒否オタク”という、ジャンルも違えば推し方もまるで真逆の2人が、互いの違いや共通点を発見しながら、時に孤独に、時に共に、葛藤し、喜び、自己に気づかされながら「推し」という手の届かない他者を思うことに向き合った、合計9万字超え熱量120%のzineになりました。

そして今年の4月、第2弾としてまたしても世菜さんと「推し」にまつわるzineを作りました。

某声優へのガチ恋感情にもがき苦しんでいた世菜さんは、zine『推察』を作る過程で、己の感情と真っ正面から向き合うことで、その恋を花火のように鮮やかに打ち上げました。一言で言うなれば“解脱”でしょうか。つまり某声優へのガチ恋は、前作のzine『推察』で完結させられます。
そんなある日のこと。
私がずっとハマっているSEVENTEENに「あれあれあれ!」と、どハマりしていった世菜さん。以前から行っていた私の布教が想像以上に功を奏してしまったようです。
つまり今回のzine『推察の推察』は、私も世菜さんも共通の対象=SEVENTEENを題材にした「推しにまつわるzine」です。

第2弾のzineを作ったきっかけ

第2弾を作ろうという話はどちらともなく自然と上がりました。時期的には今年の2月くらいだったと記憶しています。
何よりも、世菜さんの「推す対象」が変わり、私と同じSEVENTEENになったこと。ガチ恋を昇華させ、推し方も変わったこと。
一方で私も、前作ではまだSEVENTEENのことを語り尽くせなかった書き足りなさと、ずっと対象は変わらずとも『推察』で一度思いを昇華させたことで自分の中でも様々な変化が起こった実感がありました。
昨年10月〜今年2月までの互いの変化はすごく面白く、対象が同じになったことで、またこの2人で共作する意味が生まれたと思っています。

前作のzine『推察』は、福岡市は舞鶴公園にて行われた「さらけだすzineピクニック」という、公園の芝生にzineを広げて読んだり購入したりするイベントに合わせて作りました。ちょうどその第2回目が4月に行われるということで、またイベントに合わせて出そうという話になりました。
早速世菜さんと企画構成を話し合い、「今回は軽くいこうね!!春だし!!」と取り決め、各々執筆に取り掛かりました。

制作の裏側

世菜さんも私も、「作ろう」という熱はあるものの、どうアウトプットしていいのか一時期迷走期に入ってしまいます。
私はSEVENTEENという対象についての書き足りなさはあったものの、興味は彼らを語ることではなく、彼らを好きである自分の方に向いていきます。
しかし「自分と向き合うこと」即ち内省が、自分の話をするのが大の苦手であった私にとっては漠然とうーーんと唸ったり本を読んでみては天井を見上げるだけの日も多々ありました。

一方世菜さんは連日連夜「書けなさ」に悩まされていました。寝不足になりながらも必死に何か言葉を絞り出さなければとする世菜さんに「時期尚早かもしれない、zineはいつでも出せるし手段もいくらでもあるから一旦休もう、お願い寝て、チンチャまじ頼む」と声をかけた日もありました。
そんなある日、世菜さんは突然抽象画を描き始めます。その絵を見た瞬間、何も手段は文章だけに拘る必要はなかったと気づき「そうだ、これでいこう!」ということになりました。
そして世菜さんの抽象画に影響され、仕事(=目的を持ったもの)以外で長らく作品を作っていなかった私も、久しぶりに仕事以外の作品を作りたい気持ちが芽生え、グラフィックアートをいくつか作りました。
結果的に、前作の200%文字文字文字だった『推察』からの変化として、『推察の推察』は文章以外の、視覚的な表現も織り交ぜたzineになりました。

こうして振り返ると、お互いに初期衝動をそのままにぶつけられたのが前作『推察』だったとすれば、おそらく今回は2作目ということもあり、熱や勢いそのままでは突き進めず、より深い「何か」を模索してもがいていたのかもしれません。

zine『推察の推察』解説

表紙は世菜さんの抽象画をメインに。
「黄」「黄緑」も使われているので、前作の初心者マークのモチーフとの接続を感じられます。
主にタイトル周りに使っているフォントは、モリサワの「徐明」。
世菜さんの推しであるTHE 8氏の本名「徐明浩」に名前も特徴もなんとなく似ているので。
私の推し「文俊辉」に因めそうなフォントも見つけたい。
裏表紙は私のグラフィックアートを。
真ん中のハートのようなマークは、前作zine『推察』あるいはSEVENTEENを、周りの円・一本線はzineや“推し”によってできたつながりを表しています。
背景が黒なのは、夜を表したかった為です。
(CARATさんと夜な夜な行うTwitterのスペースなどをイメージしていてます)

ここからはzineの内容についての解説です。
A5版の冊子は主に世菜さんが2章、私が2章の4章で構成されていて、プラス2人の対談が別紙で付いています。

ガチ恋オタク、その頃、恋人は by 世菜

世菜さんの“推し像”の変化を客観的に振り返る章。
ガチ恋にもがき苦しみ、zine『推察』でその感情を昇華させ、現在SEVENTEENにハマっている世菜さんの変遷をずっと側で見守っていた人物。現実世界の世菜さんのパートナーである鶴ちゃんに、その胸の内をインタビューされたものです。
同じく「推しに熱狂している」私と世菜さんが対談していたら絶対にこうはなっていなかったであろう、一歩引いた目線から見れる、一番世菜さんの変化をきれいに捉えてると思います。
これはもしかしたら前作『推察』を読んでいらっしゃる方はより楽しめるかもしれませんが、前作を知らなくとも、「推しがいる者」の変化を第三者が見つめ続けた言葉たちはどれも興味深く、「では自分はどうか?」と自分の“推し活”をも客観視させられるようでもあります。様々な葛藤があるのは「推しが居る」当事者だけではないこと。「推しと自分」の世界と現実世界は地続きであること。渦中には居ない、かつ身近な人の視点は時に己を振り返らせるものとして大切だなと感じさせられます。何より鶴ちゃんの見守る目線のあたたかさに心がほっこりし、人が人を想う心に胸が熱くなります。クスッと笑える箇所も多々あり、世菜さんのもがきの時期までもサラッと風のように昇華させている章です。

「推し」に含まれる多様な感情と欲望について by ナルミニウム

タイトルページのグラフィックアートは、最推しであるSEVENTEEN
のジュンを見ている時の私の心象風景です

前作ではとことんSEVENTEENという存在について“箱推し”のスタンスで語り尽くした(まだ足りない)私が、今度は自分の感情に向き合うことに挑戦した章です。
箱推しとは言いつつ私にも“最推し”がいる。その最推し=ジュンについて、「好きな理由は最早ないです。全部が好きなので結局うまく言葉にはできませんでした」ということをどうにか言葉にして語る前半。そして突如他のメンバー=バーノンに芽生えた「好き」という感情に向き合う後半。2人のメンバーへの自分の感情の違いから「推し」という言葉の定義を模索しながら、「好き」という感情の多様さについて、また「好き」という感情と「恋」という現象についての問いに向かいました。
固有名詞がバンバン出てくるので少し読みづらさがあるかもしれませんが、結論を言うと「“推す”って様々な感情によって構成されているよね」「だからこそ対象との距離感は常に考えていきたいな」みたいな話をしています。
後半は前作『推察』の世菜さんの文章でも引用され、かつオススメもされていた『なぜ、私たちは恋をして生きるのか: 「出会い」と「恋愛」の近代日本精神史——宮野真生子』という本を使って問いに向き合っていったのですが、推しという存在はそれまで身近な概念としてあまり考えられてこなかった(と私は思っている)「恋愛」「友情」「血縁」の外にある関係性や感情を考えさせるもの、他者と関わること自体を考えさせられるように思うのです。

書けなさはさびしさだった by 世菜

世菜さんの文章とともに、最初に生まれた作品も掲載されています。

前途した通り、zineを作ることになってから「書けなさ」に苦しんでいた世菜さん。側から見たらSEVENTEEN、THE 8(=世菜さんの推し)への気持ちは決して小さいものではなく愛を持って語っているはずでありつつも、ずっと何かが喉に突っかかっているように見えていたのが、世菜さんが一度言葉を手放すことで言葉になった章。
SEVENTEEN、THE 8という推しを見つめつつ、書けない苦しさの原因の根っこは“推し”ではなく自身の過去の出来事にあったと気づき、その傷と手を取り合いながら今を生きていく過程、即ち世菜さんの人生の話です。

時は“流れる”とは限らない。過去の傷は葬り去ったつもりでも何度も「今」にとどまり続ける。
己の中にだけとどまり続ける傷を外界に放った時、せめて「流れない“時”」の水路は新たに開かれるのかもしれない。そんなことを、この文章を何度も読み返しながら思うのです。
お読みでない方は何の事を言っているのか分からないかもしれませんが、人生においていつ完全に癒えるか分からないほどの己の傷を直視し、外界に解き放つきっかけとして、世菜さんにはTHE 8の存在が、そして抽象画という手段があった。傷は傷のまま出すと傷としての消化になる。けど、そこに愛があればそれは自分の人生の一部として、羽ばたかせることができる。
そんな決死の覚悟、そして人の営みの、単純な物語にはできないかけがえのなさを感じる章です。

鑑賞構文を脱する音楽鑑賞 by ナルミニウム

最推しであるジュンの本名「文俊辉」という名前を声に出した時の
音の形をグラフィックに表しました。音楽の話との関連も少しはあるかな。

世菜さんが“推し”を通して過去の出来事に向き合った前章。この章では私も、自分の人生を音楽という切り口から振り返ったものになりました。
歌謡曲生まれクラシック育ち、J-POP好きな奴はだいたい友達な音楽人生を歩んできた私が、10代後半で突然変異的にオルタナティブ、洋楽インディーズの世界にのめり込んでいく。そしてその後に現れたSEVENTEENによって、自分にとっての音楽とは一体何だったのかを振り返ります。
アイドルソングへの無意識の偏見。1人の時でさえ「音楽好き」な有識者の評価を気にした音楽の聴き方をしてしまう自分。果たして私が「好き」だと思っていた音楽は、本当に私自身が好きな音楽だったのだろうか——SEVENTEENの楽曲に出会い、ガチガチに纏っていた「音楽好き(音楽詳しい)」の鎧を脱ぎ捨て、自分が心から好きだと思うものを堂々と「好き」と言えるようになっていった過程を綴っています。
今回は音楽の切り口で書きましたが、鑑賞と呼ばれるものには何にでも付きものかもしれない、「何かの引用に沿って評価していくこと」。“推し”即ち私にとってのSEVENTEENは、その鑑賞構文から抜け出し、楽曲を自分の物語として受け取る聴き方を教えてくれた存在。間違いなく音楽人生の第二のターニングポイントになった、必要不可欠な出会いであることを綴りました。

推察の推察 私たちの対談 by ナルミニウム、世菜

別紙でA3サイズの対談の紙が入っています。(前回はA1両面×2枚だったのがなんと1/4のサイズに!!頑張った!!!)
SEVENTEENの話をとっかかりに、互いに「自分とは」の話をしています。
「推しと自分」という“個”な関係性から少し俯瞰になる「推しが居る者同士」の対話は、まるで鏡のように、自己の無意識の領域まで気づかされていく。これが推し活の楽しさであり、対話の楽しさだなと読み返して思います。
裏話をすると対談の時点で、世菜さんは「ガチ恋オタク、その頃、恋人は」が完成している状態。私は「鑑賞構文を脱する音楽鑑賞」を書き上げてすぐの状態でした。互いに後に完成する章をほのめかす事を言っているので、もし『推察の推察』を読んでくださった方は、この裏話を踏まえて再度お読みいただくとまた感じ方が変わるかもしれません…!

振り返り

今回は、お互いに前回はまだ出し切れていなかった「それまで無意識だった部分」にまで気づかされたような、自身の心の奥底までを書いたzineになりました。
これは私と世菜さんの関係性の変化、深まりでもあり、前作同様「さらけだすzineピクニック」という“さらけだす”をテーマにしたzineを発表する場があったからこそ生まれたものだと思っています。
「推し×さらけだす」は相性がいいのかもしれません。“推し”とファンである自分は、直接的に関係が発展していくことはほぼ0%だからこそ、一方的に対象を想うことは、自ずと内省に向かうことになります。その孤独の想いがまずあり、それを他者とぶつけ合うことでさまざまなことに気づかされていく。

推しとは、他者と関わることについてを考えさせ、自己に向き合わせる存在。即ち自己の鏡だというのが、zine『推察の推察』での気づきになりました。
もちろん手放しに「推しって素晴らしい!最高!」とだけは言えません。業界が抱える構造の問題、資本主義社会、SNS時代……さまざまな目線を向けられる、それが直に可視化される現代のアイドルという存在。その諸々の要因によって「本当に推してていいんだろうか?」と葛藤に向かう事も少なくありません。ただ、推しによって芽生える自分の溢れんばかりの感情を、“推し”を好きな理由を、どうしてこのまで心動かされるのかを考えることは大事にしたいなと思っています。私は“推し”という存在が現れるまで、何かを好きな理由や、自分自身について、そして自分が見つめる先の対象の側までここまで深く考えたことがなかったから。
そしてそんなに深く考えさせたのは、自分を省みらせたのは、他でもない、共に伴走してくれる盟友・世菜さんがいたからこそです。
脳がひん曲がりそうになるくらい互いに思考を巡らす日々、それを言葉にしてzineに落とし込むこと。1人では絶対に成し得なかったことだと今回もつくづく思います。

このzineは、題材はSEVENTEENでありながらも、どこまでも個人的な心の奥底の話になりました。どこの誰かもよく知らないような者の内面を綴った文章に、沢山の方が興味を持ってくださりお届けできていること、そして感想をいただけることはこの上ない幸せです。本当にありがとうございます。
このzineが沢山の方々のお手元に届いてから、「どこの誰かもよく知らない者の心の奥底の話」は、読み手にも自ずと内省に向かわせる作用があることに気づかされました。感想を下さった方の中には、前作の時にはあまりなかった、自分の話をしてくださる方が沢山いらっしゃったのです。

この共鳴こそが、今回のzineが起こしたシナジーだと思います。
zine、即ち「作品」は、受け手がいてこそ成り立つものだから。

よろしければぜひ、あなたの話も聞かせてください。


zine『推察の推察』はこちらからご購入いただけます↓



↓私のK-POP用Twitterアカウントです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?