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時には昔の話をする

今夜の金曜ロードショーは『紅の豚』。

ジブリ映画それぞれに、今までの人生に紐づく思い出がある。
そんな日本人はたくさんいるんじゃないかな。

わたしも例に漏れない。
夕方テレビ欄に『紅の豚』を見つけ、元彼の一番好きなアニメだったなと思い出していた。


***


その元彼とは6年ほど付き合った。わたしのモラトリアム時代の傍らには彼がいた。

彼はアニメに拒否感を持つ人だった。だが、ジブリは例外。「ジブリ以外のアニメはあんまり好きじゃない」という彼の主張は、アニメ文化への偏見にまみれていた。

ジブリの中では、特に紅の豚が好きだと言っていた。
そりゃわたしも好きだけれども…少し複雑な気持ちになるのはなぜだろう。
そういえば紅の豚のどこが好きか、聞いた気はするものの、あまり覚えていない。豚さんのかっこよさか、戦時中の空気感か、アドリア海の美しさか。

酸いも甘いも経験前の20代前半のわたしにとっては、紅の豚はオトナびており、まだ味わうには早いのかなと思っていた。30になってやっと少し味わいを感じられるようになったかもしれない、レベルだ。
同い年の元彼は、当時紅の豚から何を感じ取っていたんだろう。

わたしはアニメが「普通に好き」だ。
91年生まれにとって、アニメ好き=オタク、の安易な方程式は成り立たない。漫画やドラマと同じように、アニメを生活に溶け込んでいるエンタメのひとつと捉えて育ってきた、と思っていたが人によるようだ。

元彼のアニメ主張をきいて、カースト上位で生きてきたであろう人は違うな、陽のあたる生き方にアニメは不要なのか、とこれまた陽気な人への偏見にまみれた解釈で納得していた。わたしも人のことは言えない。

元彼が進撃の巨人の漫画を借りてきたとき、もうアニメまでみてるよ、とは言えなかった。テニプリの話になったとき、昔キャラソンきいてたよ、なんて口が裂けても言えなかった。

別にどうしても言いたいわけじゃないけど、本当の自分をさらけ出せていないようなもどかしさはあった。さらけ出す必要もないかもしれないけど、その思考は一緒に生きていくことを諦めている気がした。

アニメに限らず、わたしから歩みよる努力もしていなかったと今になって思う。それに気づけなかった結果が「元彼」だし、後悔はないが、未熟だったと思う。


***


今の彼はアニメに対して、わたしと同じくらいの熱量で接している。
元彼と今の彼を比べても、有意義なことはあまりない。
ただ、わたしの人生の出来事として、今が幸せだなと感じるきっかけと実感の材料にはなる。

彼おすすめ『モノノ怪』のプレゼンをきく居酒屋、
だらだらビールを飲みながら新エヴァをみる昼下がり、
就寝前に1日1話みる、ODDTAXI。

同じものに触れて、同じ時間を共有する幸せを改めて噛みしめる。人生経験は無駄じゃない。

キャンプ、バーベキュー、登山、野外フェス。
元彼とたまに行っていた。昔のわたしはずいぶんアクティブに頑張っていたな。

今の彼とはもうどれもしないと思う。彼はすぐお風呂に入りたがるから、野外系の趣味は難しい。
だけど、キャンプ動画が好きだから不思議。わたしも動画のおかげで以前よりキャンプの知識は増えている、不思議。

キャンプにはもう行かないけど、キャンプ動画を一緒にみる幸せ。
自分には動画キャンプのほうが向いていると気づけたのも、今の暮らしがあったから。
ほら、やっぱり、今が幸せ。


***


今日は結局、紅の豚はあまり見なかった。
冒頭のマダム・ジーナ歌唱シーンまで。
彼が明日の仕事に備えて早々に寝てしまったので、起こさないようテレビを消して、廊下の明かりを頼りにパソコンに向かっている。

彼が寝ている隣で、昔を振り返り、文章をしたためる幸せ。
時には、こんな夜があってもいいい。






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