はなうた唄ってすごしたい

育児は一生懸命になりすぎるから、鼻唄歌いながらくらいがちょうどいいのよ、と、言ってもらった言葉にいつもはっと戻る。

あーしなきゃこーしなきゃがなかなか消えず、3歳の娘に対等に向かう私。そこにも、またあかんあかん、と、つっこみながら。

私はお片づけがとても苦手。あと一個なおせば終わる、とか、クチャーと広がってたら何から手をつければいいか分からず、なかったことにしてしまい、でも、やらなあかんよな、と、自覚するようになってよーやく自分のお尻を叩いて片付け出す。なので、娘がおもちゃも画用紙もクレヨンも引き出しの中のものの絵本もぜーんぶ出していたら、私の中の片付けやりたくないよーさんとの対話が始まる。やっぱりやらなあかんよ、と、叱咤のあと、結局イライラして、かたつけようよ!と声のボリュームを上げてしまう。←これ、て、私に対する怒りが強いよね。こうなる前にやりなよ、とか、ほっておきすぎたな、とか、おもちゃの整理してへんからや、とか。

どなたかが、ブログで書かれていた。幼児の1人遊びは曼荼羅のようだ、と。そんなこと思い出したり、ハナ唄歌いながらでいいのよー。の天使の声を思い出して、自分のイライラを沈めて、ハナ唄歌いながら片付けたり、曼荼羅なのか、と、眺めてたらするもんだから、娘もまた遊びだすし、くちゃくちゃが好きなんだ、と、変な勘違いをもつ。なんなら片付いたソファの上で絵の具したいーと言い出す。で、またイライラのループ。

はなうたなんてうたってられへんやん!と、イライラは上昇し、そして、落ちて固まる。

そして、また唄い出せるまで、静かにすごす。もしくは、キッチンにこもる。笑。

娘は私がまた唄いだすと、ギューすると、近寄ってくる。小さいながらよく見て感じてくれている。が、すぐには切り替えきれていないので、それを受け止めきれない私もあったり。

夫が帰宅した頃にはすべて落ち着いていたけど、私の活気がほぼゼロなことに気づいた夫が娘に問うと、娘は父に、悪いことしたの、と、報告している。

夫は天晴れな人で、しんどい時は笑っとけ、なところがあるから救われる。…にいたるまでは時間かかるけど、やっぱ1人落ちてるときに、そんな人がいてくれるとお天道さまがいてくれるようで助かる。だから娘も父大好きなんやろな。

マイウェイでお友達とワイワイしなくても自分のやりたいことができるのならばそれはラッキーだ!みたいなところがある娘。

あれこれやりたいことがあって、1人でもそれを楽しめるのは、それも娘の良いところで。周りに流されていかず、マイウェイでどこまでも好きな道へ自分のやりたいことに素直に。自分の心に素直に。そして、自分を愛し続けてほしい、と、真に祈る。 

周りの気持ちに気づけてそれを表現できるようになれば彼女の深い愛がどんどんと広がってゆきますように。

ついつい怒ってしまうけど、母も成長しよう。はなうた唄って、これで大丈夫、と、どんとしてよう。彼女を信じて。生きてるだけでなんでも体験できる、そのことに感謝。いつもありがとう。



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