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ギックリ腰が増えるだろうなぁ
暖かくなったりと寒くなったり。
気温が上がったり下がったりすることって、これから春にかけての季節では、当然起こりうることです。
昨日はとても寒かったですね。あちこちで雪が降りました。こちら鳥取県でも、各地で雪が積もりスキー場は大喜び。農家の人も土の微生物がどうとか言いながら、今シーズン初めてに近い雪を喜んでおられました。
そうかと思えば、今日は一転してあたたかな一日です。
風が吹くと、やや肌寒いものの、太陽が照り、日当たりのいい場所では早々に雪は解けてしまいました。
今朝から、ドサッ!ドサッ!と解けだした雪が、屋根から滑り落ちる音があちこちから聞こえてきます。
人間の身体も、このような気温の変化に対応しています。
たとえば、骨盤の動きです。
今シーズンここまでは、それほど気温が下がりませんでした。一部の地域では、グッと気温が下がったところもあるようですが、多くは暖冬といわれるシーズンを過ごしておられたかと思います。
骨盤の動きというのは、季節に応じて変化していきます。
昨日のnoteにもすこし書いたのですが、陰の世界と陽の世界が入れ替わっているのが、ちょうどこの時期であるといえます。
寒い冬の間に、めいっぱい閉まった骨盤が、春の訪れに伴い、徐々に開いてきます。この動きは骨盤だけにかぎりません。後頭部や肩甲骨もそうですし、徐々に徐々に身体が開いてきて、陽のエネルギーを取り入れる準備をはじめます。そして、夏になると最大限開いて、開ききった身体は秋のおとずれと共に、徐々に閉まってくるのです。
そういった季節の波に乗れない身体は、その季節の異常を引き起こします。
これからの季節ですと春の異常です。春の異常、そういって思いうかぶのが花粉症ですね。その他にも頭痛、めまい、ほてり、関節痛、咳などがあります。他にも春に特有のものと考えますと、とにかく眠たいとかもそうですね。春眠暁を覚えず、とか言いますもんね。
これらの異常は春の身体にスムーズに移行できないための異常なのです。
振り返ってみて、今シーズンは暖冬でした。
暖冬というと気温がそんなにも下がることがありません。ということは、身体も閉まりきることができないでいます。
そうなると、春の異常が増えるだろうな、と予想していました。
しかし、昨日は寒かったです。骨盤が多少は閉まったことでしょう。
それはいいことでした。
でも今日になって、また気温が上昇しました。おそらく暦の上では、これからは寒かったり暖かかったりを繰り返しながら、徐々に暖かくなっていくでしょう。春に向かうのですから。
そうなると、おそらくですがギックリ腰をやる人が増えてくると思います。
骨盤が開いたり閉じたりするわけですから。その骨盤のうごきが硬い、骨盤が柔軟に気温の変化に対応できない人は、ギックリ腰を引き起こす可能性があります。
もし、じぶんはギックリ腰をしたことがある、という人は以前にどの時期にギックリ腰をやったのか?ということを思いだしてみてください。
なんだか急に重たいものを持ったからギックリ腰になったんだ、とか思っておられるかもしれませんが、それは単なるトリガーに過ぎません。
同じように重たいものを持ったのに、ギックリ腰になる人とギックリ腰にならない人がいるのはどうしてでしょうか?
ギックリ腰を持っている人は花粉症は持っていないのでしょうか?頭痛は?めまいは?・・・そういうふうに考えて行って、仮にギックリ腰がある、頭痛持ちだ、花粉症もある、めまいするときがある、春になるとなんとなくボーっとしがちだ、とか。
そういった人がいたとすれば、それは春の異常です。
その人がギックリ腰をするのは、なにも重たいものを持ったからではありません。
春だから、ギックリ腰になったのです。
ぼくたちはじぶんが思っている以上に季節に影響を受けています。それなのに季節を感じることもなく、ただただ毎日の仕事のスケジュールをこなしているだけで、カレンダーが進んでいく。
そんなふうに季節を感じることよりも、経済活動を優先する人のほうが季節の異常をより引き起こしているようにぼくは思うのです。
ギックリ腰になると、ほんとうに痛そうです。ギックリ腰になったことのある人ならお分かりと思いますが、ちょっと身体を動かすだけでも激痛が走ります。じっとしているしかない・・・そんな状況です。
もう経済活動よりもじぶんの身体を優先しなさい、そういっているようにも思えるのですが、痛い本人としては早くその痛みから脱出したいですよね・・・。
愛光流の山本先生は言いました。「治すことも罪ですよ」
ぼくたちはあらゆるものに生かされているから存在します。それはお給料をくださる会社や食べ物を作ってくださるお百姓さん、ご飯を作ってくれるお母さんやお父さんのおかげ、だけではありません。
地球の環境におけるすべてがあるからです。
じゃあその中で、ぼくたちひとりひとりがどのように貢献できるのかを考えたときに、出てくる答えが経済活動だけではおもしろくないように思うのです。
健康を求めるのは、さらなる経済活動を行うためなのでしょうか?
ギックリ腰をするたびに考えていただきたいなぁって思います。
そんなこと考える人はいないでしょうが、ギックリ腰の連絡は入るんだろうなって思います。
本日もお読みいただき、ありがとうございます。
読んでくださってありがとうございます。とてもうれしいです。