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人間性の時代 ~共感する骨~

 解剖学的には骨は骨です。どういった神経が出ていて、といったような違いはありますが、骨は骨です。しかし、整体ではおもいろいもので骨に役割りのようなものがあると考えています。

 そして骨は動くとも考えています。よく動く骨とそうではない骨がある。ある骨がよく骨が動く人もいればあまり動かない人もいます。それが異常な人もいれば、ノーマルな人もいます。

 たとえば腰椎2番。おへそのちょっと上あたりにあります。腰椎2番がよく動く人は感情的な人だと言われています。

 感情表現が豊かなのですね。

 男性と女性を比べると、女性の方が比較的感情表現が豊かであると言われています。最近はそうでもないのかな?と考えますと、感情が豊かな人は腰椎2番がよく動く人、となります。

 

感情が豊かな方が生きやすい


 仮にある出来事が起きたとします。会社でもいいですし、ご家庭でも結構です。友人関係でも上司との関係でも、家族との関係でもいいです。イレギュラーな出来事です。対処に苦しむほどのものではないものの、めんどくさいなと思う程度の出来事が起きたとしましょう。

 淡々と対応し、冷静に対処するのが本来ですと正しい。余計な労力も使いませんし、時間も適切な分だけ使うのでしょう。

 これがなかなか難しい。淡々と、冷静になるのは難しいです。困難になればなるほど、想定外であればあるほどパニックになります。感情が揺れ動き、冷静さを失います。


 一見すると、前者の方がよさそうです。しかし、あまりに冷静に対応しすぎると冷たい印象を与えてしまいます。過剰に感情的になるのもよろしくありませんが、多少は感情が見える方が相手に対して好ましい印象を与えるようです。

 何となく冷たい世の中。寛容性のない社会と言われ、多様性が叫ばれるものの、自分というものを確立するのが難しい時代には、感情表現が豊かである方が好ましく思われるようです。


人間性の時代


 何を言ったかよりも、誰が言ったかの方が重要だそうです。無名の、誰とも知れないアカウントからの発信は届くことなく、著名人やインフルエンサーの発信は瞬く間に拡散されていきます。

 意見を述べたり、考えを述べても誰も知りたくもないし、聞きたくもない。まず誰かということに専念したほうがいいようです。

 誰か、ということ。誰かという人間を証明する。誰がどういった人間なのか。その誰かが何かを述べるから意味がある。

 

 いろいろと匿名性がある昨今。人間性がわかるというのは安心することなのでしょう。

 これからは人間性の時代なのだ、と言えなくもないような気がします。


共感性がある人とない人の違い


 誰か、というのをわかってもらうには感情が伴ったほうがよい。何が好きで何がきらいかを感情をこめて伝えよう。

 感情をこめようとすると腰椎2番のはたらきが重要になります。腰椎2番が強張っている、硬くなって動きにくい人は感情表現に乏しくなります。

 

 感情が豊かだとどういう利点があるかというと、相手も共感しやすいですし、共感してもらいやすいです。

 相手があってのことですから独りよがりよりは共感性があったほうがいい。相手のこともわかってあげられるし、わかってもらえます。無表情の相手の意図を汲み取るなんて、長年連れ添ったご夫婦でも難しい。

 共感する力、共感してもらえる力は腰椎2番に宿ります。


腰椎2番をほぐす


 おそらくですが、無表情で感情が読み取りにくい人。感情をいつも押し殺している人の腰椎2番は強張っていることでしょう。無表情な人は腰椎2番が強張っているタイプの腰痛持ちの人かもしれません。

 一方、感情が豊か過ぎて腰椎2番がぐいぐい動いている人も腰痛持ちかもしれません。それは腰椎2番が激しく動き過ぎて疲れているからです。激しい感情の持ち主も意外と腰痛だったりするのです。


 腰椎2番。おへそのうしろよりちょっと上にあります。その辺りをグリグリとほぐしましょう。自分でグリグリしてもいいと思います。骨自体をやると傷がつきますからダメですよ。 

 腰椎2番の周辺をグリグリしていると、なぜだかホロリと涙がこぼれ、押し殺していた感情もどこかへ消えていくことでしょう。

 お試しください。


 

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