表にある本音
何でもかんでもあらゆることが他人に知られているというのは嬉しくないわけでして、知ってもらいたいことは知ってもらいたいけれど、自分の本音の部分と言いますか、裏の部分は知られたくないものです。ここまではいいけどここから先はやめてちょうだい、っていうあれです。
SNSが普及したことでそういったトラブルが次々と出てきました。たしかにこちらで管理できないようなトラブルや失敗もあれば、そうでないものもあります。今回はそういったことではなくて隠していると思っているのもの、建前と本音で言うと本音の部分。人間生きているといろいろな建前と本音があるものです。
言わずもがな建前というのは表の部分。見える部分と言いますか見せてもいい、見られてもいい部分です。反対に本音は見せる人、見られてもいい人を選びたい部分です。もしかすると一生誰にも明らかにされない本音というものもあるでしょう。そう考えますと本音というのは裏の部分であるとも言えます。
しかし、いろいろな部分で裏側に隠したい本音というのは表に現れてきます。
自分では隠し通せていると思っているのですが。すべてがそうではないにしてもわかる人にはわかってしまう、見抜かれてしまうものもあります。
裏にあるものほど表に現れており、表にあるものほど裏に隠れている。今日はそういったお話です。
整体操法の現場ではいろいろとお話をお聞きしながらすすめていきます。来られた会員さまの訴えやその日の体調などはもちろんですが、その他にも多方面からなるべく会員さまに近づけるよう努力しています。
さてある日のこと、とある方が愛光流からだと心整体の琴浦町指導室にお越しになられました。この方は女性でした。そのときは腰がどうとか肩がどうとか言っておられたように思います。
他には何か気になることはございますか?とお聞きしたところ、ほうれい線が気になるとおっしゃっていました。この方はこんなことを言ってしまって、と冗談めかしくおっしゃっておられたのですが、そう思ってお顔を拝見しますと、確かにほうれい線に異常がありました。左右のほうれい線に差がある人は足の異常を持っていることが多いです。
ほうれい線というと小鼻の横辺りから口唇のきわにかけて伸びる線のことです。この線のことを氣になさっている女性、実は意外とおられるのではないでしょうか?
ですので、足の具合はいかがですか?とお聞きしましたらそういえば最近足の調子がよくないとのことでした。その方はなんだかあちこち調子がよくないことが多いので足のことを言い忘れていたとのことでした。
ほうれい線ひとつ取ってみてもそういったことがわかるのです。その方はご自分のほうれい線をあまり好ましく思っておられないようでした。女性からしますとほうれい線の有無でお年を召されたように見えるからイヤだという方もおられますけども、ほうれい線があるということは人相の観点から言いますと財という意味になります。ほうれい線は財があるとか地位があるという意味です。
しかもほうれい線があるということはその財や地位を守ることができるということになります。ということはほうれい線がない人が財や地位を手にしたとしてもそれは失われていく財や地位であるということになります。
ただ、ほうれい線もあればいいというものではなくほうれい線にも吉とされる形と凶とされる形があります。ほうれい線の質や内容にも吉凶は左右されます。その方のほうれい線は吉の方向性のものでした。しかし線に異常がありましたので、そこは調整対象になりましたが。そう考えますとその方の場合も、もしかしたら財や地位に問題が出ようとしていたのかもしれませんし、実際にすでに問題があったのかもしれませんね。実際に問題があったと告白してくださるときが来ましたらお聞きしますし、もし告白されなくても無事これなによりということと思います。
このように人間は自分が思い描いていない部分からも裏の部分を表に現しているものです。われわれは背骨を観察することでその方のいろいろな部分に触れます。もちろんそれは見破る、暴くといった種類のものではありません。どういうことか?と申しますと整体操法はお受けになられる方との共同作業で行われるのです。
こういったことを書きますとなんだか胡散臭く思われるかもしれませんが、整体操法というものは操法者とお受けになられる方との共鳴と共感によってはじめて成立するものなのです。見破るとか暴くという態度では共鳴や共感を持つことはできません。整体操法は完全に守られた空間なのです。そこには表の裏もない空間なのです。そういった空間を心がけています。
さて、人間は表にあるものほど裏に、裏にあるものほど表に現れてくるものです。しかしその人が裏に置いておきたいと思っているものをズカズカと土足上がり込んで引っ張り出してくるのは紳士的ではありません。表にあるものと裏にあるものを自ら知ることで初めてほんとうの共鳴や共感が行われるのではないでしょうか?
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