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整体を知り始めておどろいたことのひとつ

 整体を始めて、というか整体を知り始めてと言ったほうがいい。整体を知り始めておどろいたことのひとつに整体では背骨ひとつひとつに意味があるということ。医学書なんかで調べても、背骨ひとつひとつにそれなりの意味がある。ぼくは脊髄損傷の患者さまも担当したことがあるから、それこそ背骨の何番が損傷しているのか?で患者さまの動きは格段に変わる。そういったことを観てきていたので、背骨ひとつひとつを観るということへの経験はあったつもりだった。

 たとえば整体では胸椎9番というと肝臓を現します。肝臓が疲れてきたり、肝臓に異常があると胸椎9番に異常が出てくる。早い話が二日酔いのときは胸椎9番が総じて異常を起こしているということになる。ひとつ下がって胸椎10番となると腎臓の骨となります。むくみがあるとか身体がだるいという人は胸椎10番に異常があるのです。おもしろいところでは耳鳴りの人とかも胸椎10番ですね。これは東洋医学的に耳は腎臓を現すからだそうです。このように背骨ひとつひとつには意味があり、それはいろいろな反応を現しています。

 感情の変化も背骨に現れてきていて、胸椎9番の感情は怒り。怒っている人は胸椎9番に異常がある。お酒飲みの人はどちらかというと怒りんぼうです。お酒飲んでケンカするというのも肝臓が疲れてきて、胸椎9番に異常が出てきて、その感情として怒りが現れる。酒場のケンカはたいていどちらかが記憶をなくすほど泥酔していて起きる。酒場のケンカだからとはいえ、酒場についたとたんにケンカは始まらない。ノンアルコールでのお付き合いでは殴り合いのケンカに発展することは少ないだろう。

 ぼくたちはいろんなものを自分で決めているつもりでいる。あまり考えずに感情の向くまま、思いつくままに行動してしまうときもある。感情に振り回されることなんてしばしばだ。それらすべてが背骨に支配されたものだったとするならば、背骨に異常があるだけの人をどうしてそれだけ卑下したり奉ったりすることができるのだろう。身体が入れ物であり、感情が背骨の副産物だとしたら、いまここにいる自分は何なのだろう?


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