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運動って何のためにしますか?

 秋と言いますと食欲の秋、芸術の秋、運動の秋、読書の秋、行楽の秋などなどいろいろありますが、街をふらりと見てみますと街中でウォーキングやジョギングをしている人を見かけます。真夏の盛りにはなかなか見ることがなかったように思います。

 たしかに真夏の暑い中では熱中症の問題などもあり、なかなか外に出にくかった。そういった人たちが涼しくなって、運動したくなってうずうずしてきて、ウェアに身を包み、街の中に出てきたのでしょう。

 家の中に閉じこもっていると鬱々とした気持ちになるのかもしれません。ようやく気候も落ち着いてきたのだからと運動を始め、さぞかし気分も爽快のことと思います。

 運動をすると身体の健康によいとでも思っているのでしょうか?一般的には健康によいと考えられていると思います。健康のために歩いたり走ったり運動をしないと、って思われています。運動不足で健康を害した、っていう話を聞くこともありますし、病院に行っても運動をすすめられます。血圧が高かったり、血液の数値に問題がある場合には医師から運動をすすめられることもありますね。

 しかし、整体では身体の健康に対して運動をすすめることはあまりありません。もちろんここで言う運動とはいわゆるスポーツなどの分類です。身体を整える体操などはその人その人に応じて個別にご指導させていただくこともございます。

 整体では運動はひつようなものではあるかもしれませんが、ヒトが健康になっていく、ヒトがその生をつつがなく全うしていく中でのひつような項目として順位はそれほど高くありません。まぁやってもいいしやらなくてもいいし、といった程度です。

 その理由として整体では運動は心のためにするものだと考えています。運動は健康、とくに身体の健康のためにするものではありません。もちろん腰椎5番が出っ張った人にとっては運動は重要であるといえますが、それ以外の人にとってはあまりそうではありません。運動することによって、むしろ身体をこわしていく方向に働きます。

 しかし、運動後の爽快感や運動をしたことによる心理的な効果のため身体面でもよい効果が生まれるのでしょう。そのことまで否定するつもりはありません。

 実際に心にたまった毒は運動で出ていきます。ジョギングなどの運動をすることによって心の中の毒は外に出ていくのです。この現代社会において心の中にまったく毒がない人がいるとはあまり思えないのですが、ほとんどの人の心の中に毒は存在します。

 自家発電的な心の毒もあるでしょうし、他の人やよそから押し付けられた心の毒もあるでしょう。

 運動はそういった心の毒から自分を守る術なのです。やたらと運動が好きな人がいませんか?そういった人はもしかしたら心の毒が多い人なのかもしれません。もちろん毒を体内から外に出しているわけですから自分にとっては心地よいのでしょうね。

 一方で運動をすることでどんどん健康になって行って、思考がまとまってきたり、アイデアが浮かんだりする人がいます。こういう人は腰椎の5番が出っぱっている人です。このことを整体の用語で前後転位しているといいます。この用語、スルーしても大丈夫です。

 腰椎5番が出っ張っているかどうかは触れるとわかります。われわれのような人間は当然ながらわかりますが、おそらく一般の方でもわかると思います。

 相手にうつ伏せに寝てもらって、腰椎の5番に触れます。腰椎の5番は腰椎部でも一番下にある骨で、骨盤に面している骨ですから非常に触れにくい場所ではあるのです。しかし、一番下にあるという位置関係がわかっているのでいちいち骨の数を数えていく手間は省けます。

 とにかくその腰椎5番に腰の上から触れて、飛び出していたりとがっているように感じられた場合、腰椎5番が前後転位している、と考えます。

 このような人はどんどん運動をした方がいいです。運動全般というよりも足の運動です。ランニングとかジョギングとかウォーキングとか、スクワット運動とかです。手を使う運動もいいのですが、足を使った運動の方がおすすめです。

 腰椎5番が前後転位している人にとって足の運動はとても重要です。走りながら仕事をしたり勉強した方がいいんじゃない?っていうくらい重要です。足が弱ってきて、身体だけでなく気力も弱っていく人はこういった人です。

 腰椎5番が飛び出した人は足の運動、ジョギングやウォーキングがいいといいましたが、それ以外の人はどうでしょうか?それ以外の人の場合、たとえばウォーキングは身体の負担でしかあり得ません。こういった人の場合のウォーキングはほぼ心のために働きます。

 運動が身体の健康に適した人もいれば、そうではない人もいます。しかし、今はひとまとめにして誰に対しても運動は身体の健康にいいとされています。もちろん心の健康ためにはいいのですから、そういった意味では推奨されるのかもしれません。身体に不安を抱えていると心も不安になるものです。身体が健康であると心が多少病んでいてもどうにかなります。心がなかなか前を向かないという人は身体の問題を抱えてることがほとんどです。

 われわれが生物としてのヒトを生きていくのにひつようなヒトとしてのシステム。そのシステムに十分に働いてもらうために運動は本来それほど重要ではありません。反対に人間として生きるためには運動は多少ひつようなのかもしれません。われわれが人間として社会生活を営んでいくベースにはヒトとしての土台がひつようです。ヒトという土台の上に人間が乗っかっています。ヒトがうまく行かないのに人間がうまく行くはずがないのです。

 われわれが健康になるためには運動よりも先にすることがあります。運動をしていたら健康になれるんだ、という間違いから脱却することです。運動だけにそんな大きな期待や責任を負わせてはいけません。

 ヒトとしての土台を作り固めていくことです。それからその上に人間を積み上げていくことです。現代はヒトを軽視し人間に重きを置きすぎたように思います。ヒトを軽視して個人としての人間を重視することはかならず失敗につながります。バランスが悪すぎて不安定すぎるのです。土台がもろくて上になるものが重いと倒れるに決まっています。

 人間としての成功とか幸せ。人間は不安定であるにもかかわらず安定を求めるものだったりします。より安定したものを求めるのであれば、ヒトというものを第一に考えていくことがたいせつです。


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