見出し画像

愛光流がん三部作に参加してきました!

愛光流がん三部作に参加してきました!

こんにちは。

鳥取県大山町と琴浦町で整体をしています、愛光流からだと心整体、隅田真人です。

昨日は一般社団法人愛光流が主催します、愛光流がん三部作に参加してきました!

これで2回目となり、残すところ後1回。

3月が最終回で、がん三部作も一先ず区切りとなります。

昨年は戊戌年。今年は己亥年。

四柱推命的な観点からしましても、がんの方が増えるだろう、という風に観ていました。

そうしますと案の定といいますか、がんに関するご相談がちらほら。

愛光流からだと心整体にはそこまで多数の、というほどではなかったのですが、愛光流本部や愛光流和明館、愛光流桜梅桃李の癒には、がんのご相談がたくさんあった、と伺っています。

そういったことをふまえての今回の講座となりました。

人間とヒト

がんという病を考えていく際に、どうしても人間とヒトという部分を考えていかなくてはなりません。

人間とヒト

この2つの違いはなんだと思われますか?

生物学の観点から考えてみますとわれわれホモサピエンスはヒト科ヒト属に分類されます。

つまり生物という視点からわれわれを観たときに人間という言葉はあてはまらないのです。

われわれはヒトである、これがすべてのはじまりであり、回帰点です。

人間とはその後に現れた造語なのです。

われわれは人間ではなくヒトである、このことが大前提です。

しかし、われわれは人間として生活をしています。

人間は社会生活や家庭生活を営み、年長者を敬い、小さい子どもたちや若い人を教え、導きます。

このような人間の生活を支えているのはヒトです。

ヒトである個人が人間である個人の生活を支えています。

生活という面に目を向けてみても、人間の生活というものは病気をつくる生活しかしていないのがよくわかります。

電気や水道などを観てみても明らかです。


なぜネガティブになるのか?

人間は生活していく上でさまざまな悩みを抱えて生きています。

悩みがない、という方はほぼほぼおられないのではないでしょうか?

しかし、実際にタンパク質を適切に摂る、糖質のコントロールをする、といった生理的機能の改善に取り組んだ方の90%の方の悩みが消えた、と言われています。

正確には、悩みの原因は解決しなくても悩みの大きさが変わった、ということです。

これはあるひとつの側面であり、心理的な問題を解決していく、という方向性はある意味で正しい!といえます。

しかし、ここで考えておきたいのが、なぜわれわれはネガティブになるのでしょう?

さいきんではメンタル面の大切さが強調され、ネガティブはよくない、ポジティブになりなさい、と。

そして大きな声と動作で「わたしはできる!」ということをやったりします。

こうした動きはネガティブよりもポジティブの方がいいから、とされていることから発生し、ネガティブな状況をポジティブな方向にするための方法論として、あれこれさまざまたくさん紹介されています。

なぜわれわれはネガティブになるのでしょう?

その人の性格でしょうか? それとも その人の思考の癖なのでしょうか?

どちらもまちがいです。

これはヒトの持つ生理的機能の結果、ネガティブになるのです。

たとえば40歳の方がいるとしましょう。この方は40年死んだ、ということになります。

皆さんは何年生きるおつもりですか?

あなたの寿命は何歳くらいでしょうか?

寿命から40歳を引いた数がこの方の残された時間です。

この寿命というものは漠然と誰もが持っているものです。

ここで、ヒトの使命をご紹介しましょう。

ヒトの使命は120年生きる、ということです。

ヒトという個体はこの世に生まれ、120年間なんとなく生き続け、そして死んでいくのが使命です。

とはいえ120歳まで生きる人間はなかなかいませんね。おられないからニュースになる。

ヒトはかならず死に向かいます。死に向かって毎日毎日歩いていっています。

死に向かうからこそ、ヒトはネガティブになるのです。

ここでライオンの前を横切るインパラを想像してください。

ライオンの前を横切ったとたん、ライオンが目を覚まし、こちらに向かって襲い掛かってくるかもしれません。

もちろんライオンがおなかいっぱいでインパラに興味がないかもしれませんし、万が一、ライオンが襲い掛かってきたとしても逃げ切れる可能性もあります。

あなたがインパラなら「大丈夫!わたしはできる!」と言って、堂々とライオンの前を横切るでしょうか?

そうです、ヒトとは本来ネガティブなものなのです。

しかし、人間はネガティブでは困るのでポジティブの方向に抵抗します。

その抵抗力の源は生理的機能なのです。

なぜがんになるのか?

では、なぜがんになるのでしょう?

がんというのは大病です。

他にも大きな病気としては脳梗塞や心臓疾患などがあります。肺の病変や糖尿病などの代謝疾患。

病気のデパートと自分で言っているような方もおられるとは思いますが、そのような方でもあらゆる病気に罹ることはできないのです。

ヒトは万病にはなることはできません。

ヒトは万病にはなれない。

しかし人間は病気を作る生活をし、さまざまな病気に罹るのです。

がんの原因は?

人間の生活ががんの原因です。

しかし、人間の生活における問題がひとつではないのと同じように、がんの原因もひとつではないのです。

たとえば、身体によくない食事、添加物の入ったものを食べたとして、即座にがんを発症するかといえば、そのようなことはありません。

たとえば、ストレスが原因として、上司に怒られた、過度なプレッシャーにさらされた。それだけでがんを発症することはありえないのです。

がんの原因は複合的な要素から成ります。

ということは、これをしたら絶対に大丈夫!ということはないのです。

巷にはよくありますね、○○をしたらがんが消えた!という輩のものが。

もう一度言っておきますね。

これをしたら絶対に大丈夫!ということはないのです。

むかし、テレビの情報番組で○○が身体にいい!という内容のことが放送された直後にその製品が陳列棚から消えた!というような現象がありました。

次の日には○○は血液数値を改善させる!というような内容の放送直後に、また違った商品が売り切れる、といった具合でした。

それで本当の意味で健康になった方がどれほどおられたのでしょう?

もう一度言っておきますね。

これをしたら絶対に大丈夫!ということはないのです。

自分を愛さないとがんになる!

ヒトというしくみは完璧です。

ヒトというしくみに沿った生き方ができない人間の生活が問題なのです。

がんとは複合病であり、がんとは生活習慣病です。

がんはストレスが原因と言われています。それは正しいです。

人間らしい生活は高ストレス状況を作り出します。

生物であるヒトは他の野生動物、たとえばライオンやゾウのようにおなかが減ったら食べて、眠たくなったら寝ます。そして目が覚めたら起きて、のどがかわいたら水を飲みます。

生物学的なヒトの要素はそれだけなのです。

人間は違います。

人間はその知恵を用いてさまざまな道具を作り出しました。

電気や水道もそうですが、エアコンやクルマ、携帯電話などもそうです。

とてもとても便利で安全な世の中になったのですが、人間という生活はヒトという生活とは合わないようです。

だって眠たくても起きて仕事に行かないといけませんし、おなかが減っていなくても昼休みの間にランチを済ませておかないと午後からのお仕事に影響があったら困ります。

そう考えますと人間らしい生活というものは、とても高ストレスなようですね。

人間は自分の意志で人間らしい生活を送り、その結果として病気になっている、とも言えます。

しかし、人間の力では病気を治すことはできないのです。

人間らしい生活を送るために、人間はそれこそ何もかもを犠牲にして生きています。風邪をひいても会社に行かなければならない、地震があったのに電車のホームで列をなして次の電車が来るのを待っている姿をニュースで見かけたことがあります。

人間はこれまで、自分をたいせつにしてこなかったのです。

自分をたいせつにし、愛さないことでがんを発症してきました。

人間は自分に対する愛し方をよく知らないようです。

自分に対する愛し方とは人間の真実の姿を見つめ、愛することです。

自分の中にあるヒトを認め、ヒトを愛さなければよくはなりません。

この場合の愛する、とはどういうことでしょうか?

ヒトを愛するとはヒトにとって必要なものをあたえる、ヒトにとって必要なものを準備する、ということなのです。

ヒトが正しいことが平和への道

愛、といいますと抒情的であり、どこか宗教的でもあり、つかみどころのないものと思われるかもしれませんが、そうではありません。

愛とは科学である、と考えています。

必要なものを足して、不必要なものをひく。そのようなごくわかりやすいものが愛である、といえます。

ヒトが正しければ争いなどは起こりませんし、イライラすることもありません。

ヒトを満たすことは平和につながります。

家庭内が平和でないのも、そこにいるヒトが満たされていないからです。

人間的な自分を愛する必要はありません。

人間には欲望しかありません。

人間は欲望を制御できないのです。

しかし、ヒトはそうではありません。

われわれは本来はヒトです。

人間の生活はヒトが支えています。

人間とヒトはまだまだ乖離していますが、その融合を目指すべきです。

ヒトのしくみは何百年、何千年と変わることがありません。

人間のほうは刹那的でとてもとても不安定です。

不安定に依存するから不安になるのです。

ヒトのために生きることのほうが本来、われわれは得意としているはず。

われわれはヒトである、これがすべてのはじまりであり、回帰点だといえます。


本日もお読みいただき、ありがとうございます。

読んでくださってありがとうございます。とてもうれしいです。