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『ちひろさん』今泉力哉~海との境界を歩く生と死を繋ぐ不思議な女性~

(C)2023 Asmik Ace, Inc. (C)安田弘之(秋田書店)2014

有村架純の魅力があふれた映画だ。ちひろという女性はつかみどころがない。元風俗嬢でお弁当屋さん。誰とも分け隔てなく優しいし、手を差し伸べ、声をかける。特にこの世の中で生きづらさを抱えている人たちに寄り添う。ホームレスの鈴木慶一、家族との時間が息苦しい女子高生のオカジ(豊嶋花)、シングルマザーに育てられている口の悪い小学生マコト(嶋田鉄太)、不登校のマンガ好きの無口な女子高生(長澤樹)、トランスジェンダーのショーパブの友人バジル(van)、病気で視力を失った弁当屋の店長(平田満)の妻の風吹ジュン、弁当をいつも買いに来る過去に父親をバットで殴った建設作業員の若葉竜也、みんなみんなどこか生きづらさを抱えている人たちで、ちひろの周りに集まってくる。一方で、ちひろは人を好きになる恋愛体質ではない。どこか冷たさもある。ベッタリにならないような距離を作る。元風俗嬢でありながら、男女関係に興味がない。弁当を食べるようにセックスをする。ふらふらと漂流しているような捉えどころのなさが魅力でもある不思議な女性というキャラクター設定だ。

この地球の人間たちは、みんな「人間という箱に入った宇宙人」であり、みんな中身は別の星から来た宇宙人なのだ、そう考える方がラクだ、とある客から聞いたとちひろが語る場面がある。人間同士わかり合えなくても不思議ではない。そもそも他人なんて分からないものなのだ。わかり合えると思うから、期待し、裏切られ、傷つき、諍いになる。違う星から来たのだから、分かるわけないし、そんなもんだと考えること。でも同じ星から来た人だと直感で分かる人はいる。ちひろ(本名は綾)は、小さい頃に自分で作った海苔巻きを一人で食べていたときに一度だけ出会った「ちひろ」という名前の風俗嬢(市川実和子)と、視力を失った風吹ジュンが同じ星の人だと感じている。他人に過大な期待を抱かないことで、適度な距離を保つことで傷つかない人間関係を築くという処世術は、今の時代らしい。熱くならず、どこか冷めているのだ。

漫画原作のこの映画は、とりとめのない日常の映画であり、恋愛も劇的事件も起きない。生きづらい人たちが登場し、ちひろさんという女性に癒やされ、それぞれがそれぞれの生き方で生きて、死んでいく。ちひろさんはまたフラリとどこかへ消えてしまう。干渉したり、束縛したり、嫉妬したり、怒ったりしないで、適度な距離でそれぞれの間合いで気持ちよく生きていければいい。そんな映画だ。

海辺の街が舞台だ。ちひろは海との境界を歩く女。夜、海に反射する光がちひろのアパートのカーテンに揺らめく。「水の底に今沈んでいる」というちひろの言葉もある。海との境界、それは生と死の境界なのかもしれない。そんな生と死を繋ぐ存在として、巫女のようにちひろは存在している。ラスト、お月見のパーティーから抜け出して、いなくなる。バラバラに孤独だった人たちの居心地のいい共同体が出来たのに、そこからフラッといなくなる。360度ワンカットパンの間に、ちひろの不在に椅子が映し出される。そして海辺から酪農の大地へ向かったちひろは、また新たな人たちと出会うのだろうか?今泉力哉監督らしい作品だ。


2023年製作/131分/PG12/日本
配給:アスミック・エース

監督:今泉力哉
原作:安田弘之
脚本:澤井香織、今泉力哉
エグゼクティブプロデューサー:岡野真紀子、佐藤菜穂美、豊島雅郎
プロデューサー:山野晃、中里友樹
撮影:岩永洋
照明:谷本幸治
録音:根本飛鳥
美術:井上心平
編集:佐藤崇
音楽:岸田繁
主題歌:くるり
キャスト:有村架純、豊嶋花、嶋田鉄太、van、若葉竜也、佐久間由衣、長澤樹、市川実和子、鈴木慶一、根岸季衣、平田満、リリー・フランキー、風吹ジュン

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