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自分とはなんぞ?

敬老の日も近づく最中、おばあちゃんから自宅の工事依頼があり見積書を持って行った。僕のおばあちゃんは87歳。自宅で息子(60歳)と2人暮らし、ちょっとした水回りの交換工事を依頼してきたんだ。

我が家の血筋は良い意味で関係は浅くなっている、元気であれば連絡なし。といった自分都合の愛言葉で関係は成り立っている。

付かず離れずの関係である。昔話をすると、僕が10歳頃まで正月は親戚、従兄弟などがじいさんばあさんの家に行き、豪華な食卓を囲み、お年玉や世間話に花をさかせていた。失われた30年、今では親戚の集まりもなく、連絡がないと元気な証拠といったもんである。我が家の名誉の為に言っておくが仲は悪くない。関係性がないだけである。

そんなおばあちゃんが僕に工事依頼をしてきた。総額25万円ほどの軽微な工事内容だが、僕にとっては今まで受けた恩返しをする絶好の機械である。

あなたの孫はこんなに大きくなりました!と仕事に対する情熱で恩返しできると鼻息ブンブンで見積書を渡し、工事内容を説明していると。。。。

齢87歳。あばあちゃんの目頭が熱くなり、『大きくなったね。こんな小さかったのに・・』と感動し、涙を流していました。

そんな出来事に僕の心も揺れました。きっちりと仕事でお返ししないとな。と思いました。こういった経験があると、サイコパスな僕でも思考が生まれます。

自分はどうなんだ?と考えました

自分がおじいになった時、同じ様に涙が出るのか?自分の子供はこうなってほしい、ああなってほしいと思うのが親の常だと思います。

家に帰ると、妻と子供がいます。

僕たち親はどうあるべきか?と考えました。よくある話ですが、親はこうでなければいけない、子はこうでなければいけないと決めつけていませんか?

それは親の期待であり、勝手な解釈(主観)であります。言うこと聞かせるのは幼少期は簡単ですが、成長してくると親の主張を理解します。適当な強制ほどウザいルールはありません。自分は良くて、子供はあかん。そんな親にはなりたくないと思います。

しかしほぼ大体の人生は惰性と納得で完成されています。物事がいつも通りでないと認知できません。テストの回答を答える様なもんです。否定する訳ではないですが、親の選択が 惰性 と 納得 なんだ。と気づいた時、初めて親の1歩を進めると思う。

〇〇だから。を使い続ける毎日。そんな毎日でも真っ当に子を育て、家庭を守り抜く親の姿。そこに覚悟があれば。大切な本質は子供に伝わるでしょう。そう信じて正解のない人生をあゆみ続けましょう。

ちなみに僕は子供に注意します。誰でも失敗します。反省します。その繰り返しです。注意するときの信念です。

誰かに迷惑がかかるか?この1点です

迷惑がかかるだろうと言う観点(想像力)を養う為に子供に注意します。

例えば、外に遊ぶ時は 銭湯で走るな。レストランで遊ぶな。ここは家ではない、(僕たちだけではない)と言うことを徹底して注意します。答えなどありません。おかれた環境でしてはいけないことをすれば注意します。そういった想像力を養ってもらいたいです。

今日はこの辺で。ではまた。

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