#22 都市は有機体である。

都市は有機体である。そう仮定する。そうすると、そこに住む人たちは血液であり、大小複雑に張り巡らされた道を東へ西へと行き来しながら、街に栄養や酸素をせっせと運んでいることになる。では都市にとっての建物はなんだろう?
そんなことを考えさせられたのが、京都市文化財保護課で進めている「京都を彩る建物や庭園」という事業のパンフレット作成に伴う取材と原稿執筆のお仕事でした。「京都を彩る建物や庭園」に認定された家屋や建物の所有者さんたちが集まって京町家活用について語り合う交流会と、実際に認定を受けたお宅での見学会の模様を取材して書きました。
はっきり言ってコピーライターの仕事としては、どちらかというと地味な部類のお仕事です。派手なキャッチコピーも著名人取材もありゃしません。でも、京都の中心部から京町家がどんどんなくなっているいま、とても大事なテーマだなあと思うのです。
ぼくはこの交流会や見学会に参加し、取材して原稿を書いていくうちに、はてさて、そもそも町家をどうやって残すのか?とか、有効利用がどうとかいう以前に、「そもそもなんのために町家を残すのか?」という、ちょっと思想的というか原理的なところまで掘り下げて考えてみないことには、どうにもこうにもうまくいかないぞ!というところまで来ていると感じました。
ちょっと余談をはさむと、5年前にENJOY KYOTOを始めたときにぼくが「住みたくなる京都」というテーマを掲げた理由は、旅というのは長距離移動によって未知なる街でふだん出会えない人と出会うことであり、異国に住む人たちの生活、生活に臨む姿勢、人が生きていく姿をその目で見つめることによって、むしろ人種も文化も宗教も違う遠い国であっても、一人一人の暮らしや日々の習慣、そしてなにより幸福のかたちは、それほど変わらないんだということを伝えたい、というものでした。
それで、その幸福のかたちの「基盤」が、家なのではないかとよく考えるのですが、そこがいま揺らいでいるのだとしたら、外国から来たツーリストたちは京都という「書割」を見て帰ることになってしまうのではないだろうか。そういう危惧が生まれたのです。ちょうどぼくらが映画なんかで間違った日本のキャラクターに出くわしたり、外国のお寿司屋さんでビミョーなにぎりを出されたときみたいに。
とはいえ、かくいうぼくも住まいはマンションです。機能性、利便性、防犯、耐震、さまざまな条件を考えたとき、マンションはとても合理的な選択で、これを否定はできない。だからこそ「古いものだから潰すな」「文化だから残せ」、これだけでは、やっぱり残らないんじゃないかなあ。むしろ建物そのものはもとより、建物が表していた生活スタイルや習慣だけでも、残るかたちにできないだろうか。そう考えたりします。たとえば町家は基礎とウワモノが分かれているので直しながらずっと住めるという話。これなんかは京都らしい知恵というか生活の思想に通ずるものだなあと思うのです。
だから町家がどうとかいうことだけではなくて、本当に残すべきものってなんなのだろう?ということ。これから人口が減るなかで、町家うんぬんだけではなく、京都という街に住むこと、その都市としての精神性みたいなものを残すこと、もはやそこのところから問われ始めているような気がしています。だって、そもそもそこに住む人たちのリアルな生活のない街なんて、住むどころか旅行したいとさえ、あんまり(というかまったく)思わないものなあ。

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