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#14 紺碧のトライアド

#14

 ピアノに座り、周りを見るとまだ多くの人が歩いていた。こちらに顔を向けているが、足を止める人はいない。腹を決めて大きく深呼吸してから、ゆったりとピアノを奏でる。ピアノのイントロから始めることになった。注目を集めてから合奏に入った方が良い――という渡辺さんの狙いからだった。この曲のセオリーに従って、アランフェス協奏曲の主題を弾く。哀愁漂うイントロを情調たっぷりに表現する。

```
夏の訪れを感じる夕べ。
街中は浮ついた雰囲気となる。
今宵のカーニバルに想いをはせているからだ。
弦楽器の調べが聞こえる。
歌おう。今宵はカーニバル。
```

 イントロの後半は紫苑にバトンを渡す。紫苑は弓を使ってメロディを弾いた。彼は普段は指で弦を弾く奏法をしているので、弓の扱いはお世辞にも上手とは言えない――音色も雑で音程も定まらない。しかし、そのぶっきらぼうな音楽も味があっていいものかもしれないと思えるようになってきた。

 イントロの最後から徐々にビート感を出していく。バラードからラテンへの転換だ。紫苑のベースと私の左手が同じコードを繰り返す、渡辺さんのドラムが雰囲気を盛り上げてくれる。私の右手が跳ねる、遊ぶ。そしてそのテンションが最高潮を迎えたとき、渡辺のドラムが合図を告げる。

 パッと世界が変わる。アップビートで、リズミカルなテーマを奏でる。3人で一緒にだ。

「かっこいい」

 誰かの声が聞こえる。何人かが足を止めてくれたみたい。思わずうれしくなる。

 そのままの勢いでピアノはソロ演奏を駆け抜けた。指が回らず、少し音が濁ってしまったが及第点だろう。次はベースだ。その入りで紫苑はラフに弦をかき鳴らす――その狙いはいい。だが、テンポが乱された。

 ズレた?――ファストテンポだから、分からない。ベースはそのまま歌いつづける。ドラムも平静なままビートを刻んでいた。

 思わず顔を上げた。2人がこちらを見る。そして大きく頷く――突き進もう。

 再び私がメインメロディを弾く。リズムが戻ってきた。大勢の人たちが私達の音楽を聞いてくれる。なんて楽しいのだろう――さあ、ここからは私の世界だ。

```
誰かが私を呼ぶ声がする。
いのち短し。歌えよ乙女。

幻想の炎が私を焦がす。
刻まれるリズム。まるでカスタネットみたい。
胸の鼓動は止まらない。

誰かが私をもう一度、呼ぶ。
いのち短し。歌えよ乙女。

今を、生きろ――と。
```

 リフレインを終え、私がアルペシオを加えて曲が終わる。

 エントランスが拍手に包まれる。初めての3人での演奏。鳴り止まない胸のカスタネットにそっと手を添える。

 余韻に浸っていたい――そんな思いをよそに紫苑はうまく行かなかったところを復習を開始し、渡辺さんは熱心にビラを配っていた。

 その後、騒ぎに駆けつけた大学職員から事情を聞かれたことはこのエピソードを語る上では蛇足であろう。

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