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#17 紺碧のトライアド

#17

 当日の集合は17時に大学の正門だった。日はまだ十分に高く、授業を終えて遊びに出る学生や準備を整えて部室に向かう学生の姿が見えた。

「お待たせ」

 渡辺さんの姿を見てびっくりした――ダークなスラックスに、ホワイトシャツとナロータイ。略式ではあるが普段の彼からしたら十分に正装だった。

「ああ、これ?今朝、紫苑に今日の服装聞いたら、『何でもいいよー』だってさ。なんでもいいわけないじゃんね。ジャズと言ったらビシッと決めるもんだぜ」

 そういうものだろうか。急に私が着ているネイビーのワンピース――持っている服の中でもとびきり上品なものを選んだつもりだ――が、場違いに思えてきた。

 いつもどおり遅れて、紫苑がやってくる。ポロシャツに、デニムのパンツだった――こちらはいつもどおりの平服だ。この二人の価値観はあっているようであっていない。

***

 ライブ会場は大学通りに面した建物の2階にあるバーだった。1回のラーメン屋の脇の階段を登ると、サックスの音色が聞こえた。音出しのためにスケールを吹いていた。

 二人のあとに従ってバーに入る。正面はお酒やグラスがかかっているカウンターだった。その左隣にはソファ席が2つ。反対の右隣には、ガラステーブルが6席あり、その奥は全面ガラス張りの窓で、大学の校舎をバックに電子ピアノが置かれている。そちら側がステージのようだ。

 サックスを吹いていた男が音を止めてこちらを見る。

「やあ紫苑。今日はひとつよろしく頼むよ」――テナーサックスをストラップに下げ、極めて友好的な挨拶をしてきた。短髪を掻き上げた大柄な男だった。額が広く、その下にあるくぼんだ小さな目は、笑ってはいなかった。

「どうもよろしくお願いします」と、無機質に声だけで答えた紫苑は、彼の横を通りぬけ、いそいそとベースをステージ脇に置いた。

「それに渡辺か。久しぶりだな。そっちのサークルの調子はどうだい?新入生は入ったか?」

「おかげさまで。みんなで楽しく音楽をやってますよ」

「それは良かった。それで、今日は紫苑の付き添いか?」

「そんなわけないでしょう」と首を振りながら、紫苑のあとに続いた――そこで足を止める。

「あれ、若林さん。今日のドラムは?」

 ステージにはドラムがなかった。中央に電子ピアノが置いてあり、ドラムセットが置かれるスペースもなさそうだった。

「今日はドラムなんてないぜ」

 渡辺さんの顔が険しくなった。「どういうことだ?」

「店側と調整してな。ほらスペースも大きくないだろう。客の入りを考えると、ドラムセットはおけないってなったんだよ。こっちはサックスとピアノのデュオで演ることにした。あれ?言ってなかったけ?」――飄々と答えた。

「聞いてないですよ」と紫苑。

「それはすまなかった。そっちはトリオだったか。こちらも最高の演奏にするために練習で頭がいっぱいでな。すまん」

 すぐに謝ったが、どこか白々しい。

「ピックアップするベース・アンプもないみたいだね」

 若林さんは首を横にふる。

「まあこれに懲りたら、紫苑はもっと部活に顔を出せ。渡辺も戻ってこいよ。新しいサークルもメンバーが少ないみたいじゃないか。俺はお前たちの音楽的技量は――認めている」

 二人揃って「結構です」と答えた。

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