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#20 紺碧のトライアド

#20

 私達の演奏が始まっても、会場のざわつきは収まらなかった。コンサートホールとは違い観客が近い。フォークがお皿に触れる音、グラスをコツンとテーブル置く音。そして、あちこちでのささやき声が聞こえる。ジャズ研の御一行の席からは笑い声まで聞こえる。

 こんなに雑音が気になるのは、集中できていない証拠だろう。

 普段のタッチとは違う電子ピアノ。ミシンについているようなパカパカとしたサステインペダル。

 それに何よりドラムとは違う。パーカッションのアプローチに戸惑う。

 準備が十分ではないのは言い訳にすぎない。紫苑の音楽を私は伝えなければならない。集中しようと思う――その時、入り口の扉が開くのが目に入った。

 思わず目を疑った。入店してきたのは音楽科の中田准教授だった。彼は会場を見渡したあとにウェイターに導かれて、一人カウンターに座った。その目はじっと私を捉える。

 『君が目指している音楽が見えない』

 どうして中田先生がこんなところに?頭が真っ白になった。

 その時――紫苑の歌声がマイクを通して響いた。

 予定とは違う構成だった。歌詞のない鼻歌のようなハミング。練習のときのような内向的な唸り声ではない。軽く爽やかなメロディだった。

 前の席に座っている客の呆気にとられた顔が見える。渡辺さんも驚いたようだが、すぐに音色をそれに合わせた。

 その声を聞くと、不思議と落ち着くことができた。そして、すぐに気づく――これは、私に語りかけているのだ。「自由に弾いていいから」と。

 明確なテーマを再度提示することなく、1曲目が終わった。観客はどう反応してよいか戸惑っていた。拍手もまばらだ。

 渡辺さんが心配そうにこちらを見る。ふぅーと大きく息を吸う。顔を上げ、目で二人に伝える――もう大丈夫だから。

 ごちゃごちゃ考えるのはやめにしよう。私達の演奏をまっすぐ伝えよう。

 紫苑がMC用のマイクを握る。

「えーとね。今のは練習――というか音出しだから。次が本番。ちゃんと聞いてね――『Seven Seas』」

***

 ベースがソロで音をかき鳴らす。顔を俯きながら、これからの発出するエネルギーを貯めているようだ。ファストテンポで民族的なリズムだ。顔をあげ、ベース音にハスキーな歌声を重ねる。そこに渡辺さがシンバルで装飾を加える。紫苑が目で合図する。

 西洋音楽にはないコード進行を繰返し重ねる。意図的に変化を加えないピアノの上で、紫苑は緩急をつけた演奏をしていた。

 空間をたくさんとったアプローチだ。それが音楽に深みを加える。そのまま紫苑がメインメロディを受け持つ。――私を含め、会場全体が紫苑の世界に入った。

```
静寂の中で、波の音だけが聞こえる。
一定のリズムで打ち寄せ、また返るの繰り返し。

ひと繋がりの海を動かす地球の鼓動。

黒い水平線から、何色にも見える光がせり上がってきた。
陽光に照らされたキラキラと光る水面が、向こうから近づいてきた。

新しい朝だった。その朝に向かって――私は飛び立つ。
```

 次は私の番だ。その世界感を引き継いで、鍵盤に向き合う。今までの私に、この3週間で紫苑が気づかせてくれたことが重なり合う。私の全てをぶつけることができる。きっと大丈夫。だって紫苑と渡辺さんが後押ししてくれているから。ああ、自分を表現することって、こんなに簡単なことだったんだ。さあ、新しい私になって、羽ばたこう。

```
柔らかく屈折する太陽の光を感じる。
眼下には白い波頭を抱えた碧い海原が見える。

高く、遠くへ私は飛ぶ。

先をゆくヨットを見つけ、くるりんと宙返りをし、その脇を並走する。
ちらりと見ると、逞しい男が私を見上げる。サングラスの下にある顔がニッと笑うのを見届けてから、ヒューと高く飛ぶ。

私はかもめ。

高く、遠くへ私は飛ぶ。

ああ、どこまでも自由に飛んでいきたい
```

 ――ひたすらに自由を求めること。それは歓びであり、音楽は純粋な美となった。

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