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#16 紺碧のトライアド

#16

 ライブの成功と打倒ジャズ研を誓ったところで、お開きとなった。もっとも、後者に熱心だったのは渡辺さんだけだったけれど。

 手首を返して時計を見ると24時を少し回ったくらい。千鳥足の渡辺さんを紫苑と支えながら、下宿先のアパートまで送り、玄関に押し込み、内鍵がカチリとなるところまで見届けた。普段はしっかりしてるくせに、酔っ払うとだらしがなくなるのはいただけない――ちょっぴり残念だなと思った。

 大学通りから外れたため、先程までの喧騒はなくなり、静かな夜だった。季節性か、地域性なのかわからないけれど、空気は澄み、漆黒の空に月がはっきりと見えた。

 そんな月夜を紫苑と二人で歩く。

 紫苑を横目で見ると、ぼんやり遠くを見ながら歩いていた。その横顔を見ながら、つくづく変わった人だなと思う。

 子供のように無邪気に振る舞うこともあれば、深く思い悩むような態度を見せるときがある。人当たりのいいときもあるが、全力でかまってほしいという態度にでるときは面倒くさい。音楽の細部に拘るときもあれば、『適当でいいよ』というときも多い。Jazzにこだわっているようで、それ以外の音楽にも向き合う広さもある。彼の見ている世界を、私はまだ十分に推し量れていないのだろう。

 思い切って聞いてみる――音楽的アイデンティティの追求ってなんですか?

 紫苑は少し驚いたようだが、その後はこともなさげに話し始める。

「僕にはイスラエル人の血が流れている。いわゆるクォータってやつだね」

 うん――と頷く。

「でも、生まれも育ちも日本だからほとんど気にしたことはなかった。高校二年の夏にね、イスラエルの祖父母を初めて訪ねに行ったんだ。とても歓迎してくれてね。楽しかったな」

「音楽をやっているって言ったら、おじいちゃんがね。ギターを出して来て歌ってくれた。ユダヤの民謡だった。すごく素敵でね。心が洗われる音楽だった」

「それで言うんだよ。『おいシオン。お前の国の音楽ってどんなのだ?』ってね」

「はっとしたよ。クラシックも聴くし、ロックもジャズもやる。けど、僕が生まれ育った国の音楽って何なんだろうってね。そのとき、ちょうどコピーしていたバンドがあったけど、それかって言われたら――違うだろうってね」

 西洋のクラシックをそのまま受け入れていた私にはない考え方だった。ジャズだってルーツをたどるまでもなく、海外の音楽だろう。

「民謡とか演歌とか?」

 思ったことを口に出してみる。

「演歌は民謡をポップス化したものだと思っているから、基本的には同じだね。川井憲次のアプローチは良かったけど」

「あとは我楽とかですか?」

「何も古典芸能を復興させようってわけじゃないんだよ。僕が生まれて、この体で生きてきて、見て聞いたものがあって、感じることがあって――それを表現しなきゃって思っているだけ」

「それで、作曲もするんですね」

「まあね。でももちろんいい曲は良いし、それを演奏するのは好きだよ。そのときに、自分の解釈を加えていけばいいと思っている。そういう意味ではジャズがあっていて、今はそれにハマっているってだけ。口で言うのはかんたんだけど、これって超難しいからね」

 容易ではないことは明らかだろう。これまでの挑戦に思いを馳せる。それに比べて、なんと私は音楽に向き合って来なかったのだろうか。

 気がつくと私のアパートの前だった。帰り道を合わせてくれたのかもしれない。

「だからね。僕のアイデンティを探す旅に君が付き添ってくれて――すごいありがたいと思っている。改めて言うけど――ありがとう」

 向き合う私達を夜風がふうっとなでた。

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