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ニャーと鳴くあの子はもういない。【3】完

3月のある日の夜、家に帰る道中で隣家を通ると、貼り紙がしてありました。


ボスが亡くなったことが書かれていました。

思わず「えー…!」と声が漏れてしまうほどの衝撃で、急いで家に帰り母にも報告。
最近体調悪そうだったし、ついにお迎えが来たのかねという話をして、
長い年月を生きたボスを讃えました。
寝る前に今まで撮ったボスの写真を見返していると涙が止まりませんでした。

家を出てすぐの道にいつもいたボス。
いつからか「いるかな?」と向かう方向と逆側を見ることが癖づいていた私は、ボスが亡くなった翌日も思わずそちらを見てしまい、
何もいない陽だまりと「ニャー」と鳴く声がしない静かな景色を見て
これがこれからの日常なんだな、と。
受け入れるしかないけれどどうしようもなく悲しくて、涙が溢れました。
今でも陽がさしているときほど、何もいない道を見てとても寂しくなります。

私が飼っていた猫ではないのに、少なくとも外に出ていたボスの姿しか知らない私がここまで悲しくて、飼っていらした隣家の方はいまどんな気持ちで過ごしているんだろう……と思うこと数日、
隣家に貼り紙が増えていました。
ボスが交通事故で亡くなったこと、ボスを可愛がっていた地域の方々からの手紙やお花への感謝が書かれていました。

今まで隣家との交流はなく、亡くなったボスに対しても心の中で静かに思いを向けようとしていたのですが、
やっぱりどうしても、ボスとの日々がとても大切な時間だったことをお伝えしたくて、
小さな花束に一番きれいに撮れたボスの写真を1枚さして、母と一緒に隣家に向かい、インターフォンを押しました。

ボスの飼い主さんと積もるお話ができ、新事実もたくさん知ることができました。
ボスは野良猫出身ではなく最初から飼い猫でオスだったこと、
やんちゃな性格で若い頃からいつも勝手に家を出ていってしまうのでしたいようにさせていたこと、しかしかなり広い範囲を縄張りとして守って頑張っていたこと、
夏はボスの過ごす部屋を冷房完備にしても出ていってしまい熱中症になりかけて帰ってくること、
首輪をすぐ取ってしまうので多くの人に初めは野良猫だと思われていたこと、
人に撫でられるのが大好きなこと、
ボスは18年生きたこと。
ご近所との交流などがない私にとってはかなり勇気が必要でしたが、ボスのことが知れて、行動に移せて本当に良かった出来事でした。
ボスの骨箱が置かれたお仏壇にお焼香をあげさせていただきました。

室内飼いを徹底していれば起こらなかった事故ではありますが、
お話を聞いていると、ボスの生き方を尊重して、ボス自身もその瞬間まで、18年自分らしく生きることができたのではないかと感じました。

※以下の文章を書き記すことは悩みましたが残します。
ペットの室内飼いが主流になっているなかで、放し飼いのリスクというものをボスの命をもって改めて考えました。
それでも私は飼い主ではないので誰にも何も主張することはしません。
ボスとの交流は、ボス自身の性格・行動や飼い主様のご意向があって外にいたことで出会えたもので、あくまでもその穏やかな時間を忘れたくなくて筆をとりました。
なので今回の文章は室内飼い・放し飼いに関する是非を説くようなものでないことをご理解いただけたらと思います。※

ボスを思って飼い主さんとたくさん泣いたら、
寂しさはまだまだ続くけれども「かなしい」だけでなくて「ありがとう」という気持ちで、ボスのことを日々思えるようになりました。

亡くなってから1ヵ月経ち、私はボスの声を忘れ始めています。
記憶の忘れる順番は「聴覚・視覚・触覚・味覚・嗅覚」だそうです。
何もしなければ、半年後にはボスのことを断片的にしか思い出せなくなると感じ、ボスとの日々を忘れないうちにnoteに書きました。
猫という生き物、小さな命を愛でることができたこと、とくに昨年夏からの半年間は私にとって何にも代えがたい大切な時間でした。


「ボスありがとう。大好きだよ」

長い文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。 2023.4

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