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レールを外れて生きてみる

私は今まで、こんな内容や(↑)

こんな内容(↑)や

こんな内容の記事を学生時代に書き、いざ社会人になると、今までの伏線を回収するかのように、

こうなりました。学生時代に就活や就職に対してネガティブなイメージを持っていたのは、単にネガティブ思考というだけではなくて、自分の中で「もしかしたら自分は働けないのかもしれない」「社会に馴染めないかもしれない」という不安に似た予感があったからでした。
(今さらですが、この記事は自分の気持ちを整理するために書いたものなので、非常に自分語りが多いです。ご了承ください。)

その理由は、上に挙げた記事で書いていることかもしれませんが、学生時代から集団行動が苦手なことと、週5で外に出て誰かと会うのは刺激が強すぎて疲れてしまうからです。

なので、会社と合わなかったとか、パワハラな人がいたとか、そういうことではなく、単純に私が社会人として働くエネルギーを、全て学生時代に使い果たしてしまったという感覚の方が正しい気がします。

学生時代は、今よりももっと「社会のレールから外れてはいけない」という思想が強すぎて、普通に学校に通う以外の生き方を自分で認められなかったからです。

そして今はどうなっているかというと、先日、スーパーで品出しのパートを始めました。週4日で働いています。シフト制なので、学校生活のように週4連続(連勤)とか週5連続とかがなく、ぽつぽつ休みが入るのが、意外と働きやすいなぁと新たな発見を得ました。

お客さんに「この商品どこにありますか?」「これのケースを買いたいんですが」「これの在庫ありますか?」等々、一日に最低5人からは聞かれます。今は少し慣れましたが、やはりどこか緊張していて、常に警戒(何を)している状態です。

そして、これは本当に申し訳ないなと思っているのですが、パート勤務のためもちろん一人暮らしは難しくて、実家のお世話になっております。本当にいつまで私は迷惑をかけるのかなと、いつまで居座るのかなと思ってしまいます。

この時期、SNSで「自分の身は自分で守って。いざとなったら休んで(意訳)」という意見と「嫌でも耐える練習をした方がいい。20代のツケは後々回ってくる」という意見があり、未だに私もグサッときてます。

この意見はどちらも正しくて、その本人が下した判断が正しいのだと思います。というか、正しくさせる行動をとる、というのが一番正しいのかもしれません。休むという選択肢を取るなら、あの時休んどいてよかった、と思えるように、耐えるなら、あの時やめないでおいてよかった、と思えるような行動をとる、ということですね。
自分の選択肢に責任を持つ、ということは誰かや環境のせいにしすぎず、先ほど述べた行動をとるということだと思います。

私は休むという選択肢をとり、それを後悔したことはありません。正直、やっと休めたという気持ちの方が大きかったです。しかし、やはり将来のことを考えたりすると、この収入で生きていけるんだろうか…と落ち込んでしまいます。

だけども、今自分が働いているという状況を長続きさせることが、一番優先させることじゃないかとも思うわけです。収入0という期間を短くする。もちろん正社員として働いている同級生よりは、収入は低いです。ただ、今ここで試されているのは、周りと比べず、自分の幸せの範囲を見極めることと、その範囲内で頑張ること、生きることなのかなと思います。

お金を使いすぎず、約やかに過ごして、自分のできる範囲で自分のできることを頑張る、ということをやりたい、そういう気持ちで今後の人生を生きていきたいと思っております。

ここにわざわざ書いているぐらいなので、気持ちのぐらつきはまだありますが、少しずつ上記の気持ちが自分に馴染んできたら、もっと強く自分を生きれるのかなと期待しています。

では。今日はこの辺りで。あまりに長い自分語りを読んでくださり、ありがとうございました。また、いつか~


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