M-1グランプリの重要性

 M-1グランプリ2019が素晴らしすぎて、お笑いファンにとってはこの年末年始のいろんなお笑い番組がさらに楽しかったと思います。現代のお笑いを支えているのはM-1であると言って間違いないでしょう。いろんな賞レースや番組もありますが、M-1ほど注目度が高いものはありません。

 そもそもM-1グランプリは島田紳助さんがF-1のようなお笑いの大きな大会をやりたいということで始めたものです。そして、準決勝まで行かない芸人を諦めさせるためだとも。夢を掴ませることと、諦めさせることを同時に行うというなんとも残酷な大会です。

 で、なぜ、こんなにもM-1が注目されるかというと、その競技性です。そして、それを確固たるものにしたのがM-1の2001~2003です。DVDやらAmazonプライムやらで見れるから、見たほうがいいです。当時の審査員の厳しさ。今でこそ上沼恵美子さんがどうとか言われていますが、当時の審査員の恐ろしさ。カメラで抜かれても一切笑っていない。点数も60点なんか当たり前。現在のどんなに低くても78点とは大違い。(これに関する考察もまた今度書こうかと。)

 僕を含め当時のお笑いファンはこれを見て思ったのです。「お笑いはスポーツだ」と。驚くほどの緊張感。今でこそ「勝負は平場だ」と、敗者コメントやインタビューでどれだけ面白いことを言えるかの勝負も行われていましたが、当時はそんなこと許されず、出場者はネタだけをやるだけでした。だからこそ、「お笑い芸人」とりわけ「漫才師」のかっこよさが急激に浸透しました。

 最初のM-1ぐらんぷりがは2001年に始まり、10年で終了しました。2001~2003がM-1の競技性を高めた後、2004からは漫才スターが現れます。今まではテレビでもよく観る芸人に順位をつける大会だったものが、M-1からテレビにでるスター漫才師が生まれるのです。南海キャンディーズ、ブラックマヨネーズ、サンドウィッチマンが代表格ですね。

 このM-1を観て「かっこいい!!」と思った10代の若者たちがいました。当然彼らは漫才師を目指します。それまで「芸人になりたい」人たちは、ダウンタウンやウッチャンナンチャンのようになんとなくテレビ芸人(バラエティでおもしろいことをやっている)に憧れていただけでした。もちろん、ダウンタウンやウッチャンナンチャンだってネタで売れたわけですが、憧れの対象となったときは既に「ネタ師」ではありませんでした。しかし、このM-1を観て育った世代は「漫才を磨く」「ネタを極める」ということに命をかけています。彼らの中には「ネタこそが一番かっこいい」というM-1の精神が刷り込まれています。2003~2010に高校生だった世代こそが、今の「第7世代」という芸人たちなのです。

 彼らの中には、「ネタができる芸人こそがかっこいい」の精神が常にあります。観る側の僕だってちょうど同じくらいの世代なので、この異常なまでの「ネタ至上主義」があります。ただ、僕はこれこそが、お笑い芸人がお笑い芸人たらしめていると考えています。

 「なんでもいいから面白いことを!」という追求だとユーチューバー的な思考になっていくことを、この「ネタがかっこいい」という思考がネタ職人としてのお笑い芸人を生み出し、この技術こそがお笑い芸人という職人が職業として世間に認めてもらえている理由になっているからです。このユーチューバーやいろんなタレント(ましてやもう歌手だか、アイドルだか素人だかわかんない、何でもかんでもタレントとして成り立ってしまう時代になっている)が、忙しい一般人のエンタメに割ける僅かな時間を奪い合ってる時代に、「お笑い芸人」としてのアイデンティティーを保てる唯一の指標となっているのです。

 今までだって、様々な賞レースはいろんなところにあったはずですが、このM-1の「異常なまでの競技性」を作り上げることに成功した成果はとんでもないと思います。今、この時代に、「ネタができることこそがお笑い芸人である」という指標を残してくれたことは、本当に素晴らしいことです。島田紳助さんの「漫才に恩返しがしたい」という思いは、十二分に達成されているんじゃないかと感じます。

 ということで、今回はM-1グランプリが芸人に及ぼした影響について書いてきましたが、次回はM-1グランプリが世間に与える影響について書こうと思います。

六龍

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