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"いまさら"だから"なおさら"

もっと早くこの人に会ってれば。
もっと早くこの本に巡り会えてれば。
もっと早くこのアーティストの曲を聴いてれば。
日常で、年を重ねていくとこういった後悔に近いものを感じることもしばしばあるかと思います。
しかし、僕が思うに、巡り合わせやタイミングは必要となった時に不意にやってくるものだと思っています。

しかし、僕自身この言葉をもっと早く知っていれば、などと思うことが多々あるのも事実です。



メッセージ性の強い音楽や、映画や書籍。人によってはその出会いで人生が変わったという人も少なからずいると思います。
そういった体験は、何かの作品と呼ばれるものに触れた時以外でも、何か真新しい経験をした時など。
多種多様な場合があるでしょう。
僕の場合のお話を一つ。

あれは確か、高校三年生の時のとある平日。
当時からうつ病から来る不眠症に悩まされており、睡眠導入剤を飲んでもなかなか眠れず、夜中の3時頃、真っ暗な外に目掛けて家を出て、近くの川の土手沿いをあてもなく歩いていました。
ポケットには携帯と家の鍵。
耳にはイヤホン。
その時歩くのもつまらなくなり、土手沿いの階段に腰を下ろし、何気なく再生した曲。
それは、森山直太朗氏の楽曲である、「生きてることが辛いなら」という曲。
なかなか攻めた題名だと思いました。冒頭の歌詞。


"生きてることが辛いなら、いっそ小さく死ねばいい"


この曲はリリース時、この歌詞の内容で物議を醸したと話題を聞いたことがありました。
しかし、この曲は決して自殺を助長するような曲ではないのです。
最後まで聴かないとこの曲の歌詞の真意はわからないのですが、簡潔に言えば

・死ぬのはとても簡単で楽なこと。それならば、そんなに簡単な方法は最期まで取っておけよな。

といった解釈のできる歌詞なのです。
僕はこの曲を生きていくのが苦しくて辛くて仕方ない時に初めて聴きました。
正直、この曲を聴いたから救われた、とまではいきませんが、当時の考え方をほんの少し変えてくれた曲です。

森山直太朗氏のこの曲に限らず、いまさらこんな言葉や歌で救われない、と思うかもしれません。
いまさらだから、なおさら捉え方が変わるのです。
「いまさら」と感じているくらいですから、それまでの様々な過程で上手くいかなかったということでしょう。
だから「なおさら」響くことがあるのです。
その過程を否定する必要はありません。
ただ、もうこれ以上先は見えないと感じた時にふっと立ち返ってみると、その過程にヒントを落としていることも。
それに気づいた時だから「なおさら」強く感じるものがある筈です。

歌に限らず、人との出逢い。

もっと早くこの人に会ってれば。そう思うのはその人が自身の救いになっていたかもと、期待を覚えるからでしょう。

しかし、タイミングはお天道様の気まぐれ。


逢うべき人には出逢うし、生涯出逢うことのない人もいます。
出逢ったタイミングを恨むのではなく、出逢ったという紛う事なき事実を大切にするべきではないでしょうか。過ぎた過去を憂いても仕方ないし、今は変わらないのです。

今回はちょっと抽象的な表現が多かったですね。
まだまだ僕は文を書くのがどうやら下手なようです。
これに気がついたのもいまさらではなく、なおさら。
遅かれ早かれ気付けたのなら、糧とできるのです。

もっと精進して参ります。それでは、また。

ひろき

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