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悪性リンパ腫

ストレートなタイトルにしたのは、私が足掛け3年ほど悪性リンパ腫との付き合いの中で感じたことをそのまま記載していきたいと感じたからである。

▼ 私の悪性リンパ腫

悪性リンパ腫が私に分かったったのは2020年の6月、現在このNoteを書いているのが2023年の5月。

投稿はだいぶ遅れて7月。

悪性リンパ腫によって痛みや苦しみを感じたかどうかと考えると、私は悪性リンパ腫で痛みや苦しみを直接的に感じたことはないと思う。

もちろん悪性リンパ腫が痛みを伴わないと言っているわけではない。

これは転移した場所や腫瘍の大きさによって、体に与える影響が大きく異なるということを意味している。

私の悪性リンパ腫は放っておくと、私を殺す。

それは永遠に肥大化する腫瘍が臓器を圧迫することや、脳や肺、心臓といった人間の生命の根幹を司る臓器に転移することによって。その活動を、大きく制限するという危険性があるからである。

そのため「治療をしなければ一年は持たない」と常々医師から言われている。

一方で私が経験した悪性リンパ腫の症状というものは、精巣の肥大から始まり、リンパ節の肥大、皮膚の腫瘤形成といったものが過去大きく挙げられる。

これらは一言で抽象化すると「生命維持には大きな問題はない」と解釈することも出来る訳である。

実際、悪性リンパ腫や白血病といった血液の癌によって苦しんでいる人たちは、もしかすると私とは違う歩みを歩んでいるのかもしれない。

いや、おそらく様々な情報を集めている限りではそのように感じる。

行き着く先は放置すると死という点では一緒なのではあるが、そのプロセスはあまりにも多岐に渡っている。

…もちろん普通の人も必ず死ぬのであるのだから、マクロの目で見ると一緒なのかもしれないが。

▼ 転院前の私の体

私の体において、少なくとも医師から告げられている限りでは転院前の検査で何か大きな問題があったという風には聞いていない。

そして転院後の検査でも、問題は認められていない。

この大きな問題というのは、先ほど記載した「生命活動を維持するにあたっての主要臓器への転移は認められていない」ということである。

一方で大きさがを変える皮膚の腫瘤や変わらない腫瘍マーカーの高止まり、抗がん剤等に伴う副作用は現在の体にある事実でもある。

私の苦痛は結局「治療における抗がん剤の副作用等」によるものであり、またこれから行われる移植によって起こる様々な弊害もきっと私を心底苦しめるのであろう。

これは「生きるために必要な苦しみである」と頭では分かっているのだが、受け入れるとなるとやはり心が揺さぶられる思いがあるのは事実である。

ただ単に運が良くて、治療しなくてずっと生きられるというのであればもちろんそちらを選びたい。しかし、今までの治療をせずに今の命があるのかということは当然誰にも分からない。

次の治療をしてどれだけ生きられるのかということも、誰に分からない。

この考え方はどんな人にも当然当てはまるのであるが、病人としてそれを身近に意識してしまうことになると強い不安に襲われることもある。

▼ 物事の捉え方

検査をして腫瘍マーカーが下がっていなかったことや、皮膚の腫瘤が結局治まらなかったことについてネガティブに考えることも当然できる。

一方で前処置や同種移植によって、これらの症状や値が改善するという未来も考えられる。

ただ、今思うに「完全に治す」という形ではなく、「いかに自分の命を先に繋げるか」という想いの方がどちらかというと強い様に感じる。

諦めているわけではないが「もう治らないかもしれないという未来」を、私はそろそろ受け入れなければいけないのかもしれない。

「治りたいか?」と聞かれれば、「治りたい」と答える。でもそれ以上に「生きたいかと」と聞かれると、「生きたい」と答えるのだろう。

極端な話だが「治った」その後に事故に遭って自分は死ぬかもしれないし、病気を抱えて病気と付き合ったままそれなりの人生を歩むのかもしれない。

初発や再発をした時には「治したい」という気持ちが明らかに強かったのであるが、再々発をして考えることは「いかに残った自分の人生を誰かのために使えるか」という気持ちである。

それが「私が一日でも長く生きることによって実現できる」のであるならば、私は生きたいと強く思えるわけでそれが病気を抱えていようが出来ることが制限されようが、自分が生きることに意味を感じられる。

「治ること」よりも「生きること」を選択する気がする。

「病気を抱える」ということは、「不安を抱える」ことと同義だと思う。その中で生き続けるこの苦しみを、将来どれほど受け入れられるのかどうかは分からないが、今このNoteを執筆している段階ではその覚悟はできているつもりである。

▼ さいごに

悪性リンパ腫だけでなく、病気の形は様々である。今回の記載もほんの一例にしか過ぎないのであるが、誰かの参考になれば幸いと思う。

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