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経過報告。

「書こう、書こう」と思っていても、なかなか進まないNoteの状態を見ながら、早1ヶ月。

「現状報告だけはせめても…」と筆を執った。

体調の面と気持ちの面と理由は様々にはあるが、結果的に色々考え過ぎて何も書けていない…という現状なのだろうと思う。

今回は、なるべく簡潔に近況の病気の進捗について記録として残しておこうと思う。


▼ 前回からの経過

激しい口内炎から1ヶ月。

5月の末に診察を受けた際には、自分的には「まだ違和感は多少残っているが、少し良くなったのではないか」という自覚を持っていた。

6月の中旬に久しぶりのPET撮影となり、正式に体の評価を受けることになった。

気持ちとしては「判断が下される」という意味では、この病気になって何年経過してもあまり気持ちのいいものではない…というのが正直なところである。

一方で、5月から仕事に正式に復帰(週1日有給を使っているのでフル勤務というわけではないのだが)している部分もあり、元の業務に少しずつ戻すという意味でも分岐点になりそうな検査であった。

PET検査自体は何度も経験しているので、おおよそ滞りなく終わって10日後の評価を迎える運びとなる。

▼ 検査結果

PET検査の結果については、一言で言うと『特に問題はない、悪くはない』という評価であった。

無論、これは嬉しいことである。

ただ、現状の体調の確認や薬の調整など一通りが済んだ後に、気になることを言われてしまった。

「体調に懸念はない…と言うことだけれども、再びリンパ輸注のために入院してもらう可能性がある」ということであった。

正直想定もしていなかったし、入院は地元ではなく私の嫌いな看護師だらけの大学病院であることから、かなり気持ちが落ち込んだことを覚えている。

▼ 良いことが悪いこと

私の体の状態を点数で表す…とすると、今は70点から80点ぐらいではないかと思う。

一般的な人が体に何も懸念のない絶好調の状態を100だとすると、まあ7~8割というところであろうか。

無論、体に何もツラいところがない人というのはほとんどいないと思うので、普通の人はまあ90点ぐらいで普段は生活をしているのではないだろうか。

そこから見ると、70点ぐらいでの生活が出来ることは、私にとっては大変望ましいことである。

病院で寝たきりの状態に点数が付けれないとして、口内炎でロクにご飯も食べれず苦しんでいた時を3~40点という感覚で捉えている。

話の中でこの70点程度という状態は、医学的には望ましくないというのが結論の様であった。

…どういうことか。

先ほど口内炎の時の状態は3~40点程度と表現したが、医学的には命に関わるGVHDが起きていないという点では、現状の理屈上は今の70点の状態より評価出来るという意味合いで捉えてもらえればと思う。

リンパ輸注によって体の免疫細胞を呼び起こしているという意味では、何かしらの反応、しかもそれが命に関わらない程度であることが悪性リンパ腫を抑えるという意味では望ましいのである。

口内炎や湿疹、発熱や腹痛…。

何が起きるか分からないが、普通の人が見て自分の体調の点数が下がるような行為が、私の悪性リンパ腫という病気に対しては望ましいというのが現状の医学の判断ということになる。

いわば「体調が良くなることは望ましい」と勝手にずっと思っていた私であったが、実際は「良くなることも、考えものである」ということになるようで、なかなかこの話を理解するのが骨が折れた。

私は、普通に生きるということがもはやリスク要因なのである…。

▼ 見えない未来

一方で、前回のリンパ輸注は体に悪性リンパ腫の病巣が出てきたために行われた処置である。

今回の入院予定としては、悪性リンパ腫が表出していない段階で行うことが検討されている。

当然ながら、リンパ輸注をすれば体に何かしらの副反応が起きることが期待されている。

それがリンパ腫細胞を攻撃するであろうという正の見込みと、私の体を傷つける(前述の口内炎や発熱の様な症状たち)負の見込みの両方迎えに行く…そんな処置になる訳である。

言ってみれば『自分で自分の体を苦しい方向に持って行く』わけであって、今の時点で明確に「どこかが悪い」というわけではないのに、入院をしてそんな治療をするというのが「果たしてどうなのだろうか?」という気持ちも無きにしも…である。

だが、理論上は医学的にそれが正しいのではないかという評価であり、その方向になりそうだというのが今の時点での結論になっている。

これが医学が発展して「その必要はない」といつか遠い将来結論づけられることは否定できない。

…だが、今の私にはそんなことはわからない。

もともと私の悪性リンパ腫の型自体が珍しく、弟から受けたハプロ移植についてもここ近年可能となった新しい治療である。

更にそこにリンパ輸注という言葉は悪いがまだまだはっきりしない治療に加えて、病巣の無い状態に追加輸注を行う…という一言で言えば実験的なようなことが検討されているわけだ。

▼ でも生きている

ここまでの文章は、ネガティブに映るかもしれない。

…いや、現実的に気持ちとしてはネガティブである。

ただ、まぁその治療が正しいとか間違っているとかそんな評価を視点として考えるのであれば、結果として私は生きているのであって、それがすべての結論になるのではないかと思う。

私は生きるために治療を選択したのであり、結果として生きているのであればそれが正しかったのだと思う。

いや、仮に他の選択肢を選んでも生きていたのかもしれないが、そんなことを今更論じたいわけではない。

そして今後少しでも自分の命の灯を繋ぐとして、この選択を受け入れるかどうかを決断しなければいけない状況にある。

今回のNoteを見返しても本心は「もう入院なんてしたくない」であるし、大学病院の看護師は本当に嫌いな人ばかりだし、極めつけは「なんで自分から苦しい思いをしに行かなければいけない」というのが率直な気持ちであると思う。

この後の私の人生がどのように進展して行くかによって、このストーリーがどのように展開して行くのか不安と楽しみが入り混じっている様だ。

…私の物語は、ハッピーエンドなのだろうかな。

▼ 主治医変更

2020年5月に悪性リンパ腫が判明し、そこから今日に至るまで担当して頂いた地元の主治医が異動となった。

厳しいことも言われたし、余計なことも伝えてしまい反省した日々もあったが、ここまで命を繋げたという点からは感謝しかない。

今度の主治医は大学病院から異動して顔見知りの先生で、主治医の後輩にあたる。

全く知らない人が来るよりかは少し安心ではあるし、今後の治療方針についてこの先生と前向きに考えていくことになると思う。

どうするか、どうなるか…それを今選べるのは、私の体調が普通の人並みに少しでも近づいているからなのだろう。

そして、その体調を悪くする決断を迫られている…。

▼ さいごに

運動らしい運動はほぼ出来ないが、少し体を動かす意味で散歩を定期的に続ける様にしている。

入院中もまぁまぁ歩いていたが、やはり外を歩くことと病院を歩くのでは違うと感じる。

その中で、早朝河川敷を散歩していると朝野球の試合をしていた。

それを遠巻きに眺める自分を客観的に見ていて「以前はあっち側にいたはずなのに…今はいつの間にかどっぷりとこっち側なんだなぁ…」と時代の流れと隔たりの様なモノを感じたのが、最近である。

良きにしろ、悪きにしろ、時間は流れる。

望んだにせよ、望まないにせよ、人生の針は進んでいく。

その針が終わりを迎えようとしているときに、少しでも後悔を少なく出来る様に自分の考えで、その時の自分が本当に思ったことをしていきたいと思う。

私の治療は、もう誰かと比べることはないのだと思う。

ただ、このNoteは「いつか、どこかの誰か」が私の闘病記を見た時に、何かを感じて欲しいと思ってこれからも続けていきたい。

…そう思う。


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