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再々発治療の雑記③ ~音楽~
無菌室で出来ることは少ない。
以前も書いたが、ゲームやNetflixをやめた自分は文章を書いていたり、マイ
ンドマップを作っていたりすることが多い。
集中しすぎると体に毒なので、程よい集中のために音楽を流しながら作業をする。聞こえなくなるまで集中しない様に…である。
リラックス用の音源やカフェの音楽は逆効果である。
集中のドツボにはまる。
適度にうるさいというか、歌詞が耳に入ってくるぐらいがちょうどよい。
そんな中でYoutubeでかつて自分がカラオケで歌っていたリストを作った。
鼻歌交じりで作業が出来るからだ。
鼻歌に気持ちが持っていかれれば、作業に没頭することはない。
まさに普通の人とは真逆の考えである。
カラオケは元気な時にはそれなりに友人や同僚と行っていたので、結構な曲数のリストが出来上がる。
今日も気持ちよくそのリストを流しながら、あるNoteを書いていた。
…いや書こうとしてた。
そして、結局このNoteを仕上げた。
心を動かされる歌は私には沢山あるのだが、ある歌がたまたまシャッフルの中で流れて、私の感情がずいぶんと動いたからだ。
▼ この歌知っていますか?
カラオケで自分がこの歌をどこかで歌ったのか…という記憶はない。ほぼ飲酒しながらだったからだ。
今と思えば懐かしい思い出になる。
…またそんなことが出来る日が来るのだろうか?
それはさておき、その歌のタイトルは『凡庸』という歌だ。
かの有名な『松山千春』氏の歌だ。
当時から歌詞の内容がとても好きで、自分としてこんな風に生きたいなぁ…なんて思っていた。
だが、病気になり、今の心境にはさらに歌詞が刺さる。
…別の形でだ。
【凡庸】
何もできないと思い悩むよりは
せめて悔いのない時を送ろう
こんなはずじゃない誰を責めてみても
すべて大切な私の人生
いつも歩いた私なりの日々よ
言葉にするほど幸せでなく
涙にするほど不幸でもない
人は同じだけ風を感じている
同じ陽差し受け雨にうたれる
老いてゆくことも愛を語ることも
人は同じだけ夢を求める
いつも歩いた私なりの日々よ
言葉にするほど幸せでなく
涙にするほど不幸でもない
言葉にするほど幸せでなく
涙にするほど不幸でもない
▼ さいごに
健康な時はこう思っていた。
「こんな風に生きたいなぁ…」
病気の今はこう思う。
「死ぬときにこう思えるかなぁ…」
同じ歌詞でも、全く見え方が違う。
人生とは山あり谷あり。良い時もあれば、悪い時もある。
今の自分は多分、普通の自分から見れば『悪い時』なのだろうが、もっとツラい時からみれば『良い時』なのかもしれない。
そんな中で、人生の最期にこう思えるのだろうか?
言葉にするほど幸せでなく
涙にするほど不幸でもない
幸せで終わりたいというのは自然な感覚ではあるが、終わりを迎えた時に「ま、色々あったけどそんなに悪くなかったな…」と思える様に、これからも命を使っていきたいと思う。
一応 YouTube のリンクを一つ張っておく。
治療は引き続き頑張っている。
もしカラオケでこの歌を、私が歌う未来があれば…最後まで涙せずに歌えるだろうか。
その日を私は夢見ている。
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