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自分のレールが見つからない

1度がっちりとはめ込めたら、そのまま惰性で走っていける。

そんな、「人生のレール」が見つけられない。

「敷かれたレールの上なんて走りたくない」なんて言葉もしばしば聞くが、「決められた枠」という意味ではな、その人にとって1番負担が少ない「生きた方」というのが本来は誰にでもあるのではないだろうか、と、自分は思っている。
レールに乗れたからと言ってその後がイージーモードな訳では無い。レールの状態が悪い時もあるだろうし、悪天候に見舞われる時だってあるだろう。
それでも、そこそこのペースを保ってただただ走っていける。
そんな「人生のレール」が、人にはあるのではないだろうか。

「対人関係」「仕事」「処世術」「ルール」などなどの各項目における「向き不向き」と表現したら、もう少しだけ言いたいことが、伝わるだろうか。

それらにおいての「着地点」「妥協点」「方法」は人によって異なる。
が、千差万別で選り取りみどりなそれらの中から、自分のストレスが少なく済む「立ち回り」「立ち振る舞い」を見い出せている人は、どのくらいいるのだろう。

例え、人生が山あり谷ありでとても順風満帆には見えなくても、本人は四苦八苦しつつも上手くやって、人生にもそこそこ満足している人がいる。
一方で、安定した職につき、家庭を持ち、誰が見ても穏やかな幸福を手に入れられられそうなはずなのに、なんだか本人は常に小さなトラブルに見舞われていてちっともゆとりが無い。

そんな人々は、周りに居ないだろうか。

自分が思うに、前者は、その人なりの「レール」に上手く乗っていて、周囲に惑わされることなく「自分の意思」に集中出来ているのではないだろうか。
「自分ならどうするのが効率的か」「どうしたいのか」「なにが得意でなにか不向きか」、あるいは「どんな人脈を有しているのか」「過去の経験則の活かし方」等の己の強みも把握しているのだろう。
それは、己のレールに起こりうる障害を上手く乗切る為の「スキル」であり、「自分に合ったレール」を見つけたその人にとっては、他人にとって多少困難なレールだとしてもずっと乗りこなしやすいことだろう。

後者は、自分が持っている、あるいは積み上げてきた「スキル」と、今のレールの性質が合っていないのではないだろうか。あるいは、まだ見つからずにあてもなくさ迷っているのかもしれない。
もしかしたら、あまりにも穏やかすぎて、かえって不安に駆られている可能性だってある。

そんな「レール」の存在なんて、仮定そのものが理想論かもしれない。
「自分だけの特別なレール」の存在を想像することで、うまく行かない人生の言い訳に使ったり、いつまでも「ここは自分の場所じゃない」なんて夢を見ていたいだけかもしれない。

ただ、本当にそんな「レールに乗れた感覚」が存在するのなら、それを味わってみたい。

選択肢が多く存在する現代の中で、迷いという「脱線」を繰り返す生き方に終止符を打ちたい。
前に進み続けられる標が欲しい。

そんな思いから、ついつい自分が最も自分らしく生きられる「レール」の存在に夢を見ながら、今日も人生の試行錯誤を続ける自分がいる。

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