インタビュー中は、顔を妄想している。
電車に揺られ、埼玉県の川越へ。縁あるひとへ、インタビューをしてきた。きっと来年の2月あたりに公開かしら。きっとね。
こんにちは、こんばんは。くりたまきです。
わたしは、ひとの生い立ちを聞くのがすきだ。インタビューするとき、まずはそこから辿っていくことが多い。記事に使うか使わないかは別として。
どんな街で生まれたの、どんな両親だった? どうしてそんな選択ができたの? 一体どんな価値観を育んできたの?
相手の話す顔を見ていると、小さいころのそのひとの顔が見えたりする。もちろん、本物の顔じゃない。想像上の顔だ。そのひとの経験が削ぎ落としていった頬の輪郭のまろやかさを足して、髪色や肌質には無垢さを。
そして、一瞬の幻から浮き上がって、現実の相手の顔と再び目があうと、胸が熱くなる。ああ、こうしてこのひとは、ここまで来たんだ。辿ってきた道のりが愛しい。これを勝手な妄想に陶酔していると思われてもいい、でもわたし自身は勘違いなんかじゃないと信じてる、インタビュー中に生じるなにか。
ときには未来の顔も見える。未来の顔は、写真を取ってるときのほうが見えるのだけど、それが何故なのか、まだじぶんのなかでも説明がついていない。
インタビューのおもしろさは、聞く回数を重ねるごとに増していく。
以前は、先輩のインタビューを聞いて文字起こしをしてるあいだ、「どういう流れで質問してるんだろう?」とか「えっ、このタイミングでこの質問するの?!」とかイメージして勉強していた。じぶんがインタビューするときも、ガチガチに山ほど質問票をつくって、会話のあいだもメモを取っていた。先輩にアドバイスしてもらったことはなんでも真似した。「これは僕のやり方でしかないからね」と言われながら、一度は取り入れたかったから。
あまりカッチリしたやり方はいまのわたしらしくないな、と気づいたのは今年だ。下調べが必要だと思ったらしっかりする。けど、固めすぎない。いっぱい脳内シュミレーションをして、どんな言葉が出てくるか仮説はできるだけ立てておくくらい。
実際のインタビューになったら、会話のあいだは基本的にメモは取らない。あとでメモがあったほうがじぶんは書きやすいかもしれないけれど、相手の立場で考えると不要だと思う。わたしがもしインタビューされる側だったら、会話中にメモを取られると「なにをメモしているんだろう」「あ、やっぱ記事になりそうな真面目なこと言わないとな」とか余計なことを考えそうだから。って、考えすぎかもしれないけど。
インタビューの会話を楽しんでもらいたい。そして、できあがった記事もよろこんでもらいたい。
そうして楽しくつくった記事を、最高にすてきでもったいないから、多くのひとに読んでほしい。
あらためて、じぶんのわくわくに行き当たった感じがする年末の一日でした。
さいごまで読んでくださり、ありがとうございます! サポートしてくださったら、おいしいものを食べたり、すてきな道具をお迎えしたりして、それについてnoteを書いたりするかもしれません。