幸福を編む
人生の事象は糸状にして表現が出来ると思いついたとき、既にその人の手は強く震えていて、もはや収集の取れない所まで混乱しきっていた。
手を強くこすっても、長さ、太さ、色合いも不均等な糸くずが、何本も、何十本もまとわりついてくる。
糸くずを一本、指でつまめばその指先にそれが付く。また剝がそうと反対の手の指でつまむも今度はそっちに糸くずが付く。永遠にそれを繰り返していくうちにまた新しい糸が指に絡まる。
水に浸しても、糸の色はにじみ出てくるのに肝心の糸そのものは流れていかない。気が付けば水に飲み込まれ、溺れかける。
肉体に糸が刻まれているわけではないので、物理的な痛みなどはない。けれども、糸がほどけない事実に対して心を病ましている。その結果、体調の悪さや気分の不快さが体を蝕んでいる。
本来この糸は編まなくてはならない。
事象の糸はうまく編めば手袋やマフラーにすることが出来る。冬の寒い風を通さず、強い日差しに肌を焼く心配もない、丈夫な手袋やマフラーに出来る。
編む技法は人それぞれである。精巧に編む者。大胆に作る者。時間をかけて生み出す者。そして完成された物は長さや形、色、厚みに特徴があり、個性があふれている。
作られたものは自分を暖めるために使われたり、店頭に並べられたり、愛する人に贈られたりする。人徳とは、その編んだマフラーをいかに他者へ贈り、寒さを凌がせたかに由来する。
完成品は「幸福」とも呼ばれる。
困難からの脱出、努力の報酬、慈愛の結晶、富裕の象徴。人は皆、糸を編み世界に吹く冷たい風を避けようとするのだ。それが人間らしさである。
そして、逞しく、勇気ある人は風上に立ち、己の編んだ最高傑作を盾に人を引き連れて前へと進む。それが人間として気高い姿であり、模範である。
何より、世界に吹きすさぶ風はとても冷たい。
守られなければ、守らなければ人は成立できない。
子供であれば容赦なく飛ばされ、年老いてしまえば立つことさえできない。常に向かい風として人々に襲い掛かり、糸のほんのちょっと隙間をつついて体を刺激する。あまりの寒さに体は震えるが風は微塵も手加減をしない。足の止まりかけた者から順繰りに強く吹き荒れる。
視界は茶色く鈍り、声も届かない。口を大きく開ければ、砂や死んだ小さなハエがのどや肺に突き刺さる。
毒電波のように脳内を侵食して、毛虫が葉を食い荒らすように、心にかじりついてくる。一度風に飲み込まれれば脱出は困難だ。
ただ、そんな凶悪な風の中でも、少しだけでも編む力を残せているのであれば、希望はある。力は僅かな光を放ち、周りで風に晒されている者に居場所を伝える。
周りの人らは、その微かに揺らめく光の方角へと足をゆっくりと進め、その光の持ち主を探す。そして出会えた時、運命と奇跡は起こる。弱っていた者同士でも、その光によって結ばれた縁のお陰で、大風を凌ぐ幸福を編むことが出来るのだ。
愛の完成である。
それらが集結した時、それはコミューン、自治体、都市、国家、宗教を名乗る。愛の力に集った人々は強い。愛は強力かつ絶対。絶望から人が立ち直れるのは、愛を成す為の光が奥底に宿っているからこそである。
しかし、光がないのであれば終わり。
救いはない。
光のない人間は、吹いてくる風の意味を知らない。愛を侮辱し、周りに灯っている光は害悪と思って近寄らず、ゆらゆらと伸びてくる影から逃げてきた人種である。
なぜその思考回路に至るのか? それは、風という病に脳と心を犯されて、正常な判断が組めなくなったからである。周りに風よけがなく、うまく幸福を編めた経験もない。誰かが編んでくれた幸福に澱んだ色を見つけてしまったり、光を妬んだ結果である。
気が付けば、そうした人は糸くずにまみれていって、己から発せられる光を何層もの糸くずの膜によって押し殺し、ついにはその光源を暗闇へと葬り去ってしまうのだ。
光と熱を失った太陽は太陽系を暖め明るくすることが出来ないのと同じように、光のない人間は周囲を照らせない。周りからも気づかれず、時たま光を持つ人間とぶつかれば、風が寄越した障害の一つとその人にみなされ敬遠される。
畜生のように這いずりまわって一人で遊び、風に背を向けて涙を流しながら震え、かじかんだ手を精一杯こすり合わせてなんとか暖を取ろうとする。けれども醜く変形した爪先は糸を透過して肉体を傷つける。栄養失調の人間のようにやせ細った腕や体、足は折れ曲がっていて木の枝と似ても似つかない、地獄の亡者によく似た異形へと落ちる。額からは角は伸び、顔中はしわくちゃになり、髪はぽつぽつと抜けていく。
これらの異形はどのように人生に決着をつけるか。
本来、光を放つ者は、大勢の人々に見送られながら、線香花火の最後と同じく、生涯を閉じる。
しかし、闇と、まとまらない糸くずに埋もれてしまった人はどうすればいいのか。
そんな時、死んだはずの光が色を変え囁くのだ。
「実に簡単である。
長い、一本の糸を首に括り付け、きゅっと縛ればーーーー。」
その言葉に絶望したものは喜びを含まない歓(喜)を上げる。
信じざるを得ない。信じざるを得ないと。
年老いていく間に、自分の体に絡まる糸玉の中から、長い糸を一本見つけることが出来るかもしれない。砂場をかき乱すかのように手を自分の中に突っ込むのだ。もはや彼らに外界は存在しない。
希望に嫉妬し、逃避を繰り返し続けた者たちは絶望を信仰する。
ひたすら絶望を信仰する。
たった一人の醜い人間に対する審判の日まで、異形は生きながらえる。
幸福を編む術を知らぬまま。
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