本日『即位礼正殿の儀』が執り行われました。
上皇陛下から践祚され、新しい日本の象徴を勤めるに相応しいおことばを述べられました。
・・・・とこういう書き方をすると『右翼』ぽく見えてしまう。
基本的にわたしは神社関連の記事を書きますが『神道』の何かに属しているわけではありません。むしろ無宗教だと思っています。
でも『自然現象を昔なりに科学した結果』が日本の信仰心だと思っておりますのでアミ二ズムに軸足があると思います。
自然に畏怖した人間が創った『神様=科学で解明される法則』という見方でしょうか。ただ科学絶対論者でもないのです。ここが理解されにくいのですが日本人の大多数が無意識でいる箇所を意識してその状態をなんとか自分の言葉で伝えるならば・・・・と言うものです。将来はまた表現が変化すると思います。
ここで正しいかどうかではなく『なるべく納得できる』カタチで天皇家をとらえる手助けを書いてみようと思います。
天皇はまさに『日本の象徴』であります。
憲法に明記される昔から『為政者であり象徴であり日本最高の祭祀者』
であります。
時代が経て『軍隊』を捨て(武士が興る)軍事から切り離されます。
そしてその武士が実権を握ってからは文字通り『象徴』になります。
明治維新後も変わっていません。
昭和の戦争期も昭和天皇が戦争を指揮したわけでもありません。国家に利用されたような形で持ち上げられましたが、『象徴』です。政治と切り離されていますので軍が食い込んだ時の政治を操ったわけでもなんでもありません。
なので『象徴』であることを憲法に明記したのは「明文化による確認」です。
国会議員に陛下は指図してますか?官僚を動かしますか?
天皇は政治を利用しないし、政治もまた天皇を利用はしていません。
あ、今生きている人間で天皇を政治利用した野郎がいます。
『小沢一郎』です。
敵対している(中国は日本を敵対しています。日本がお人好しなだけです)
国家の習副主席(当時)と引見させた。わざわざ子分を引き連れ「わたしは人民解放軍の野戦司令官のようなものだ」などと言い親分に会えて涎垂らしながらお手をしていた日本の恥。
話を戻します。
『日本の象徴』なので『天皇陛下が象徴』であることが日本が日本である証明であるわけです。
天皇が独裁政治をやりだしたらそれは『絶対君主制』になってしまうので別な国です。平和な今の日本ではありません。ちなみに日本は『立憲君主制』なのであらゆる法によって制限がかけられます。
だから『日本憲法に象徴と明記してある=法に従って制限がある』状態なので『天皇制は違憲(そもそも意味がわからない主張なのですが)』という左耳に入ってくるノイズはむしろ平和を望まない暴徒、もしくはそれらを応援する勢力と思われても仕方がありません。
また皇室制度そのものを否定することは
『日本ではない別の国』にしたいという国家破壊願望の発露です。
違うだろという理屈は通りません。なぜなら実際『反天連』のような集団や天皇を非難する政治家・政党・学者などが否定をしない、もしくはできない言動を続けているからです。
もし国家転覆が成功したとしたら国家名は引き続き『日本』であっても、日本ではありません。
ロシアがソ連時代と違うように。もちろん帝政ロシアと旧ソ連も別な国家ですよね?
もちろん中国共産党が清と違うように。
政治に対してモノ申すのであれば天皇制は批判する必要もイジりまわす必要もないのです。
それを声を上げてヒステリックにヘイトするのは『日本という国家の否定』であり『自分の思う通りにならない日本が嫌い』なのでしょう。
ところがそういう人達は税金で反体制言論をやるのです。
例えば日教組など、本来教師は『法律で国家斉唱する』ことが決められているんですよ。
国の税金で国の将来のために子供を教育する立場なのにイデオロギーを主張し生徒を洗脳しようとしているのはまさしく『自分の銭でやれ』であって、
愛知トリエンナーレもまさにそういうことです。
『反体制的な主張をするのはいいけど税金でやるな』というだけの話で終わるのです。
それをむしろ左派の論点逸らしに付き合う、マスコミもそれをアシストしてそれに振り回されるからのらりくらり延命させてしまうのです。
~ちょっと横道~
愛知県大村知事が即位の礼に参加しています(10月22日15時現在の情報)
みなさんが言ってますけど「自分のじいちゃんの写真を焼いて踏む行為」をやった催しの責任者が孫のハレの舞台に顔を出すのは非常識です。
むしろ「俺はむちゃくちゃやったが宮中に入ったぞ!」という精神的勝利をするために出席をしたのだと思います。
絶対にやってはダメですが、ひょっとしたら国憂の志士が刃物を突き刺すかもしれません。
予想ですが近い内に辞めざるをえないと思います。ここで追い込めなかったら日本の保守は腰抜けです。極右は暴力や街宣も辞さずですが、保守は法に則りきちんと抗議をし正論で追い詰めることが唯一の手段であります。
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では「天皇陛下万歳!」とやっていなければいけないのでしょうか?
常に神社に行ったり神棚いっぱい設置したりしなければいけないのでしょうか?
そんなことはありません。
天皇家に興味がない・嫌いでもいいのです。
ただ『日本人』として日々を生きるだけで問題はありません。
一般人が「天皇を毎日意識する」暇はありません。
日々の暮らしで精一杯です。生きねばなりません、政治で腹は膨れません。そういう無頓着な人間を宗教に基づいた法が制定されている国家や宗教指導者が政治指導者と同一の国家では許されません。
酷いと殺されるかもしれません。
ですが日本は私たちの替わりに毎日祭祀を執り行い、1年中たくさんの儀式をこなしてくれています。
どんなに政治や宗教や国家のありように無知無頓着でも『天皇が肩代わり』してくれるのです。
一神教と違うのは『罪の肩代わりではない』ことですのでいわゆるキリスト教や教祖絶対のモノではありません。もちろん朝鮮半島系キリスト団体とも違います。
自然が洪水をおこし山が噴火し津波が人を押し流すこの小さい国で『自然に対して鎮まるように祈ってくれる』だけですので我々日本人の『日本半島での自然への総代表者』、まさに『象徴』であらせられるのです。
なので真剣に考えなくてもただ生きていれば大丈夫なのです。
それを「皇室を崇めよ!」と躍起になることはありませんし強要されることもありません。
信仰の自由があります。でも他宗教、不信心者、人に迷惑をかける困り者までみなさんを代表して象徴であってくれるのですからこき降ろす必要はもっとないわけです。
それこそ政治の話をして皇室制度をごちゃごちゃ抜かす野党や特定の勢力は
『天皇の政治利用』を一番しているのです。
そうなると憲法守れ!という普段の主張とダブルどころかもう40000スタンダードくらいちぐはぐな事をやっているわけです。
「天皇弥栄」といい日の丸を振らなくてもいいのです。
「象徴でありがとう」「象徴ごくろうさまです」とニュースで見た時にちょろっと頭の片隅によぎるくらいで十分ですので、今日も健やかに平和に過ごしましょう。
陛下もそれを望んでおられるはずです。
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