「面白い!」「うれしい!」「楽しい!」の意味とその違い

私の記事を読んでくださっている方は、少なからず体育や子どもの運動指導に関心があるだろう。多くの方があるいは教師や指導者として子どもの前に立っていると想像する。自らが指導者として子どもたちに運動の場を提供したとき、やはり気になるのは子どもの生の反応である。わざわざ感想を記録させる人もいるが、それよりも実際の表情やついこぼれる一言の方がより多くの情報を与えてくれる。

当然、提供する側としては子どもにポジティブな体験をしてほしいし、ポジティブな言葉や反応が子どもから聞きたいものである。しかし、ポジティブな言葉にも様々な種類があり、それぞれが意味するところは微妙に異なっている。では、あなたが求めているのはどんな言葉なのか?本稿は、想定されるポジティブワードとその意味をカテゴライズすることで、あなたの体育指導観を見つめ返すきっかけを提示することを目指す。

①「対象」へ向けられた言葉

体育は、子どもが運動を体験する場であり、その「主体」は子ども、そして体験する「対象」が、提供された運動またはゲームという構造になる。子どもがポジティブな言葉を発した場合、それがどこに向けられたものなのか、何を指しているものなのかを明らかにすることはとても重要である。

はじめに、「対象」である運動やゲームに向けられた言葉の例を挙げよう。

・今日のゲームはとても面白かった
・特別ルールがあってよかった

これらの大きな特徴としては、感想を述べたときの主語が「運動」や「ゲーム」になっていることである。つまり、「対象」となった運動そのものが魅力的だったということを意味している。

もう1つこのフィードバックが意味しているのは、その対象となる運動の魅力は主体からは独立しているということである。つまり、面白いものはすでに「面白さ」を備えたままそこに存在しているとみなしている。そして、主体である子どもは自然のままその面白さを享受できたことを意味する。

逆にいえば、「面白くない」「つまらない」のようなネガティブな反応も同様のことがいえる。その運動は自分の期待を満たさなかったと言いたいのであり、主体の受け皿の形はそのままで、外部に存在する運動の形が合わなかったと主張しているのである。

②「主体」へ向けられた言葉

他にもこんな言葉が聞かれることもある。

・ゴールが決められてうれしかった
・チームで決めた作戦が上手くいってよかった

これらの大きな特徴は、感想の主語が「私」や「私たち」になっていることである。さらに、主に達成に関するコメントがほとんどである。つまり、「主体」の自己実現に対する満足を意味している。

「うれしい」や「やったー」という表現は、シュートを決めたとき、プレゼントをもらったとき、テストに合格したときなどに出てくるものである。つまり、何かを達成したり実現したりしたことに対するコメントであり、「達成した事実」というよりも「それを実現した自分の存在価値の実感」という意味がより根本に潜んでいる。

特に体育においては、運動課題を達成し、子どもが自分の運動有能感を実感していることを強く表していると捉えてよいだろう。運動中に「できた」と感じることで、「自分には能力がある」と自己を高く価値づけられたときにこの言葉は出てくるものである。

③「関係性」へ向けられた言葉

最後のカテゴリーはこのような言葉である。

・今日の体育はすごく楽しかった
・ゲームには負けたけど、楽しめたからよかった

この「楽しい」という言葉は、私を含む多くの指導者にとって極めて関心の高いキーワードである。いかにこの言葉を子どもから引き出すかと日々頭を悩ませているのではなかろうか。私の中での結論は、この「楽しい」という言葉は、「主体」と「対象」の関係性を言い得たものである

例えば、「バスケは面白い」というコメントは、前述のように主体の受け取り方に関係なく、「バスケそのもの」に魅力があることを意味している。したがって、その「バスケの面白さ」を享受できる受け皿を持たない主体には、これが感じられない。

しかし、ある瞬間にそれが享受できたりする。それは、何かバスケに関する知識(ルールや選手名など)を身につけたときや、練習や経験によってバスケのスキルが高まったときだろう。つまり、主体が「バスケの面白さ」を享受できるように自らの受け皿を変化させたからである。

「主体」と「対象」という二者があれば、それらをつなぐ「関係性」という第3の項目もそこには存在する。主体と対象とのかみ合わせ、これがしっかりと「フィットしている状態」を「楽しい」という言葉で表しているのである。

チクセントミハイの『フロー理論』でも有名な話だが、主体の能力と課題の難易度が調和のとれた状態であるときに、人は最も楽しさを味わえる。難易度が高すぎれば「難しい(difficult)」し、能力が余り過ぎては「つまらない(boring)」と感じる。やはり両者の関係性は「楽しさ」と大いに関係しているだろう。

したがって、「楽しい」という言葉には、主体自身が受け皿を変化させるという「主体の可塑性」も含まれていることになる。「楽しむ」という能動的な自動詞も存在するのは、これが理由だろう。楽しさを享受するためには、主体の側からの歩み寄りも必要なのである。

「楽しい」へ導く3つの方法

「主体」と「対象」のかみ合わせがフィットしている状態を「楽しい」と表現するのであれば、理論上は両者の相対的な関係を調整することで必ず楽しさに触れさせることが可能になる。つまり、「対象」を変えるか、「主体」が変わるかで、必ず楽しい状態はつくれることになる。

さらに、「主体が変わる」にも2つのパターンがある。1つは、意識を変えることである。同じゲームにも様々な楽しみ方があるが、結果を求めるような楽しみ方だと「はずれ」てしまって楽しめないリスクも高まる。楽しみ方の意識を変えることで、よりフィットしやすい価値に焦点を当てることができる。集団としてその時間にねらっている楽しみ方を共有して、意識をそろえると楽しめる確率は高くなる。

2つめは、能力を変えることである。能力を高くすると「できる」ことが増えるので、当然楽しめる確率も高くなる。つまり、能力向上によってより広範囲に焦点を当て、フィットしやすくしようという方略である。しかし、意識はその場ですぐに変えられるのに対し、能力は向上させるのに一定の時間と努力を要する。この「楽しみを享受するために困難を乗り越える」ことの必要性が本当にあるのかは、指導者として冷静に考えたい。

まとめると、次の3つの方法で「楽しい」へと導きやすくなる。

「対象」の変化:
主体とフィットしやすいように運動やゲームのルールを工夫する
「主体の意識」の変化:
楽しむためにねらう価値(スポットライト)の位置をずらす
「主体の能力」の変化:
能力向上によってスポットライトの範囲を広げる

このような双方の歩み寄りの結果、その時間の運動に子どもが没入できるようなよい関係性が生まれ、楽しいという言葉が聞かれるのである。

主体にどのような変化を求めるか

以上の検討から、主体である子どものコメントは

①運動そのものが魅力的だったというコメント
②達成や上達による自己への高い価値づけがうかがえるコメント
③自らを調整して目の前の運動とよい関係をもてたというコメント

の3つのカテゴリーに分かれることがわかった。これをさらに主体の変化という軸で並べてみると
①主体の変化は求めない(対象となる運動の改良のみ)
②運動に参加した結果としての主体の価値向上(達成感・有能感)
③運動に参加する前段階での主体の変化(動機づけ・参加態度の自己調整)

という区別が浮かび上がる。

つまり、運動後に子どもからどんなコメントを引き出したいかというねらいは、言い換えると「主体である子どもにどんな変化を求めるか」になるのである。もちろんこれら三要素が複合的に入り交じっているのだが、どれかを明確にねらわないとかえって何も満たせなくなってしまうものである。

端的にいえば、「面白い!」「うれしい!」「楽しい!」の3つのうちどれが最も多くなってほしいのかという問いである。2学期からの指導の前に、じっくりと自己の指導観を見つめ直す機会になれば幸いである。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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