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書きたい文章、表現が一文でもできればいい

久しぶりの記事。

書きたいことは、たくさんある。
でも、思うように書けない。
「あれっ、今までどうやって書いてきたっけ?」と迷走している。
そうして、過去の記事を読み返してみるけれど、何だか読み味が悪くて、書こうにも書けなくて歯痒い。
もともと、投稿の頻度自体決して多い方ではないが、書き続けてはいて、芽吹くことのない下書き保存の記事が画面に埋もれている。
通知の溜まりなど余計なものは、すぐさま片付けてしまいたい性分なぼくにとって、早く何とかしたいのだが、手が出せずにいる。
書きたい時に、思いついた時に、そう考えているうちに記事は溜まりに溜まり、書く想いなど微塵もなくなっていることを、下書きを見るたびに思う。
書くことのない記事を、早く消して新しい記事を書こうと決めても、書けないのだからしょうがない。
どうしようか、こうして書きながら模索している。
時間がどうこうしてくれるものなのかもしれないけれど、自分のペースで良いことはわかってはいるけれど、書くことへの焦りがあるみたい。
綺麗で繊細でセンスのある記事を毎日のように投稿している人が多すぎて、嫉妬のような憧れのような尊敬のような、おそらくそんな気持ちがあるんだと思う。

自分のことなのに、気持ちを全く理解してない。
本当は優しい人でありたいのに、意地を張って冷たく当たってしまったり、自分をわかっているようで、わからないと感じることが最近多くなっているような気がする。

noteを始めて2か月ほど経った頃に、こんな記事を書いていた。

書きたいものがあるのに、書けないもどかしさが未だにあります。
書きたいことが書けたと思える瞬間が欲しいんです。

去年のぼく
今もなお、書きたいことは書けていません。
一年も経てば、書きたいものが書けるようになっているだろうなんていうのは甘くて、
「書きたいもの」の基準や判断は自分自身なわけで、簡単に書けるようになるだろうと思い描くなんて、自分に甘い証拠なのだろう。

この記事を投稿して、また期間が空くかもしれないし、すぐに書くかもしれない。
精神状態で大きく左右される。
そもそも、文章を書くっていうのは簡単なことじゃない。

書きたいものが書けたと思える瞬間を目指しての理想が膨大すぎる。
だから、一文、一部分でいいから
理想の文章、表現ができたらと思う。


余談。 
書くことをテーマにしていても「書く」という言葉の使いすぎ。
こういうところも、なんとかできたら。

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