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少しでも寛容な心でいてほしい

「お前、議長なんかできるのか」
中学校三年生の時に、僕が議長をすると知った部活の顧問の先生が言った一言です。

その当時、学級委員とは異なる学年の委員会を取り仕切る役員に僕が選ばれた。選ばれたとはいっても誰もやりたがらず、その時何も所属していなかった僕が、半ば強制的に選ばれた。
やることといえば、委員会であがった内容をクラスのみんなへ報告し、クラスの意見を委員会に報告する事が主な仕事でした。そんな重要な仕事を僕が受け持つことに先生が不満を持つことは不思議なことではなかった。
中学校生活の全てにおいて、成績は酷く5科目百点満点のテストで合計が150点前後が当たり前。人付き合いが苦手で内気だった僕は、授業で当てられても真面に答えを言えた事がなかった(声が小さくよく聞き返され、笑われる事が多々あった)
そんな人間に議長という重要な仕事が務まるのか、僕を知る先生、生徒もそう思っていたに違いない。
それでも、そんな風に言わないでいてほしかった。
自分で理解しているのに他の人からも言われると、本当にダメな人間だと答えが鮮明にでたようだった。自覚しているからこそ濁して隠していたのに、それが公になった気がして辛かったことを思い出した。

もしかしたら、これまでの自分を改めて挑戦しようとしていたかもしれない。今、同様の事が目の前で言われていたら、今の自分は、その様に言ってしまうかも知れません。

かもしれないという考え方は結構大事なことだと思っています。
変わった言動を見かけても
「もしかしたら最近何か嫌な事があったのかもしれない」という風に相手を思いやり
少しでも寛容になるだけで自分の気分が楽になってくことを最近になって知りました。

人が怪我をしていることに気づくことは意外と難解なことで、特に、繊細な時期の子供には寛容な心で見ていてほしいと思います。

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