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甲子園優勝に導いた小学校教員監督と自主性とは。

毎年人々を熱狂させる熱い闘い、高校野球。

出場する様々な高校が注目されるが、プレーだけでなくいろんな意味で殊更注目を集める高校があった。

野球児の代名詞かのような坊主頭ではなく、髪型は自由。
スポーツだけでなく、学習も重要視する文武両道。
長時間練習はなく、生徒の自主性を尊重した練習メニュー。
合言葉は「Enjoy Baseball!」

ーそう、みなさんご存じ今回107年ぶりに見事甲子園で優勝に輝いた慶應高校である。

ワールドカップでもオリンピックでもチームの競技となれば、選手たちと同様世間の注目を浴びる存在がいる。

それが、チームを率いる監督ー。

そんな慶應高校の野球部の監督はどんな人なのだろうか。
わたしは毎年、高校野球やその監督にそれほど関心がなかったのだが、この一風変わった高校の監督に興味を抱いた。
そしてテレビやニュースを見て、驚く。
なんと森林貴彦監督は小学校の先生だというではないか…!

ーいやいや、小学校の先生って言ったって、きっと週に何回か小学校に来て特定科目を指導する非常勤講師なんでしょ?

そうたかをくくっていたが、そうでは無かった。慶應義塾幼稚舎の教諭で小学3年生の担任をし、退勤後電車で移動、そして慶應高校へ行き、監督をしていると知り、正直驚いた。
正真正銘の二足のわらじ、そんな二刀流が実現出来るのかと。

小学校の先生をしている人が、野球部監督を。
どちらも「子どもを指導」とはいえ、小学3年生と高校生、年齢にして約10歳の開きがある。
 森林監督もとい森林先生は何を大事にして、子どもたちにどんな指導を行っているのだろう。


森林監督は、過去に行った、高校野球の未来とスポーツマンシップについて語ろう」というセミナーのトークセッションでこう語っている。

「部員・小学生に求めるのも一緒で”自分で考える習慣をつけてもらいたい”。これは何よりも必要なことだと思うので『考えない方がいいや』という環境を作ったら我々の負け。いかにその方向に環境を整えるかを私も考えています。」

それが、全て大人が何から何まで教えるのではなく、指導の余白を残し、生徒自身で練習メニューを考える、慶應高校の野球部員の自主性を重んじるというスタイルにつながっているのだろう。


その話を聞いて、ここ数年にわたしが行った、子どもたちへの取り組みがちらりとよぎった。

算数のとある単元の学習を終え、あとは復習問題を行う、といった活動を1時間残している、というときだ。
明日のテストに向けて、その学習時間の取り組みをどちらにする方が良いか、わたしは担任していた子どもたちに投げかけた。


まず一つ目、決まった時間に決まった教科書の復習問題ページを、やるこれまで通りのやり方。


二つ目、計算ドリル、教科書の問題、自分で問題を作って解く、タブレットのドリルなど
何をやるかは自分たちで決めるやり方。
テストに向けて、自分が出来ないところや苦手なところを見つけて点数を取れるための勉強なら何でもいい、とした。そこに、それぞれのメリット・デメリットも添え、この時間どちらのやり方がいいが挙手させてみた。

すると、なんと満場一致で子どもたちは後者のやり方がいいと挙手!

子どもたちは、自分で決められる「自由」に魅力を感じる子が多い。

そしてその時間、実際子どもたちはどんな様子であったか。

今、どんな学習をすれば良いかしっかり考え、一生懸命に取り組む子も確かに一定数はいた。
しかしその傍ら、ぼ~っとしてほとんど進まない子。
わたしの目を盗んで机のしたで折り紙をしている子。
黙々と集中しているものの、わざと簡単な問題ばかりを解いている子も。
そして、基礎を固めた方が良いのに隣の席の子がしている難しい問題に挑戦し、全く歯が立たなく諦めている子も。

子どもたちは、最初からみんながみんな一生懸命に力を尽くすわけではない。得意不得意といった能力の違いもあるし、発達段階も違う。

そして時に、強制力がないと安きに流れる。さぼれるものならさぼろうとする子もいる。


「自主性を尊重する」言葉で言うのは簡単だ。

子どもたちに任せる。
判断を委ねる。
進むべき道を選択させる。


しかしそれは一歩間違えば、子どもたちにとって楽な道を選んでしまったり、自身で決める経験が乏しいと、迷って適切な道を選ぶことが難しかったりする。

「自主性を尊重する」そこには、様々な要素があるのだ。

まず指導者が、一人一人をしっかり観察し、その子が持つ能力を正しく見取ること。

そしてその子が何を感じ、何にやる気を見出すのか、どういった言葉をかけると自信につながるのか、一人一人との関わりの中で見極めその子の力が発揮できるような言葉がけや関わり方をしていくこと。

そして何かしら、子どもたちが「出来た!」と自信が持てるような成功体験を積み重ねられるよう、指導者自身が諦めずに、最後まで寄り添うこと。


目の前の子どもたちには、全部大人が言ったことをするよりも、自身しっかり考えて、その子にとってより良い道を選び、行動出来るようになって欲しい、と思う。


しかし、算数のその時間の様子を見て、まだまだそこに至るまでの力が付いていないと判断したわたしは様々な取り組みを更に行った。


授業の中で、個人、複数あるいは全体で考える機会を増やしたり。
ある一定期間は全員一律の宿題ではなく、その内容を自分で決めさせたり。
係活動を立案から計画、実施まで子どもたちに委ねたり。
一人一人の子どもたちと対話を重ねたり。
頑張りを認め、言葉にして価値づけ、クラスの他の子どもたちや時に保護者に共有したり

そして折に触れて、学ぶことそのものやみんな共に学ぶことの意味や問うたり、伝えたり。

それらを地道に、1年間継続した結果、学ぶことに意欲を持つ、自分から学ぶことの出来る子どもは増えた。
しかし、残念ながら全員そうなった、とは言えなかった。

ー何が足らなかったんだろう?

それぞれの力が十分に伸びる、集団のパワーを発揮できるには、わたしは三つの条件があると思っている。

一つ目は指導者に対する絶対的な信頼。

この絶対的な信頼とは、指導者の考えや意見を盲目的に信じるというより、人としての尊敬。

「この人に認めてもらいたい。」
「頑張ったところを見てもらいたい。」
「この人をがっかりさせたくない。」
そして何より、自分のことを大切に思ってくれているという安心感とこの人についていきたいと思わせる人間性。

「自分はあまり大事にされていると思えない。」
「この先生、言っていることとやってていることが違う。」
といったように、指導者に対して安心感や尊敬の念が揺らいでいると、子どもたちへ言葉が真っすぐ届きにくい。

二つ目、心理的安全性が保障された環境。

上にあげた指導者と子どもだけの結びつきと同様、大切なのは、共に頑張る仲間である。協力、そして切磋琢磨。集団の力はすごい。横で同じように頑張る仲間の存在は、ときに各々の能力をぐんと引き上げ、担任をしてきたクラスでも、思わずこちらが感心してしまうような場面をいくつも見てきた。


そして最後三つ目。一人一人が今やっていることに対して、目的や意味を持っていること。

何のためにやるのか。なぜそれをやるのか。

単に大人に言われたから、ではなく自分自身で納得のいく答えを見つけて自分なりのゴールに向かえること。
時に、上手くいかない場面、悔しい思いをする場面にぶち当たることもあるだろうけれど、「なぜ頑張るのか」自分の言葉で言語化出来ている子は、ぽっきりと気持ちが折れることがなく、本当にしなやかに、強い。



自分が、子どもたちのためにたとえ懸命に頑張ったとて、目の前の子どもの成長が無ければ、それだけでは自己満足に過ぎない。

自分自身も過去ばかりに捉われず、足りないところを客観的に見つめて、目の前の子どもたちに合わせて、知識、実践ともにアップデートしていかなければいけないのだと思う。


「自主性を尊重する」
そのために、森林監督そして森林先生は、高校生、小学生問わず子どもの自主性を育むために今、自身が何をすべきかきっと細かい戦略があるんだろう。


監督としての彼だけでなく、小学3年生に対してどんな先生であり、実践をしているのかもすごく気になるところだ。


昭和、平成、そして令和。
時代を重ねるごとに、これまでとは違う価値観、大きく働き方もあり方も生き方も、過去とは大きく変わってきた。

そしてこれからも、今している想像を遥かに超えて世の中は大きく変わっていくのだろう。

そんなこれからの未来に生きる子どもたちが、賢く、たくましく、そして幸せに生きていくことが出来るよう、今周りの大人が出来ること。

夏の終わりの甲子園、そして慶應高校森林監督の想いと導いた結果に、自分のこれからの子どもたちへの関わりを今一度、考える機会となった。

もうすぐ、二学期が始まる。
一年という短くも長い、物語の第二章。

心新たに、わたしも頑張ろう。


#エッセイ #甲子園  

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