誰かのファンになるということ。

ファン、それは一部の特別な人と、平凡な一般人との関係だと以前のわたしは思っていた。
芸能人と、彼彼女を応援する人、の構図のような。

もちろんその構図は存在する。

だけど、だんだん「ファン」への捉え方が少しひろがってきた。今日は、そのことについて書こうと思う。

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いろんなサービスが世に生み出され、自分の「すき」や「得意」をボタン一つで、
世界の人に、あるいは親しい身内に、見てもらえるようになった。

わたしの友人や知り合いも、それぞれ、noteのような文章から始まり、カメラ、イラスト、歌、ダンス、料理、ラジオ、ネイル、書道などなど多岐にわたって、世に出している。

youtubeだって、ひと昔は発信するのは「一部の特別な人」だったけど、今はそうではなくなった。
現に、youtubeで活躍する友人だっている。

誰しもが、クリエイターとなれ、
誰しもが、それらを享受できる。

いわば令和の世は、大航海いや、大公開時代、とでも言おうか。

と、いろんな人がいろんな物を世に出すと、
いくつか、自分が素敵だなあ、と感じられるものに出会う。
ひいては、この人の生み出すものが素敵だなあ、感じることがある。

つまり、ファンとは。

面白そうなコンテンツだから、見よう、ということでなく、その人が手がけたものだから、
見てみたいと思う受け手側とクリエイターの関係なんじゃないだろうか。

「○○さんが手がけたなら、絶対全て良いものだ!!」
と盲信的、盲目的な思いではなく、
見てみて、「あれ、今回のは自分にはしっくりこなかったな」って思えることもあるだろう。
それは受け手側の自由だ。

だけど、目にする前に、この人が生み出したものだからと一種の期待を寄せる、
それはあなたの生み出すものへのファンです、
ということにつながるんじゃないだろうか。

noteを書きだして、初めて生み出す側になり、
誰かからの
「面白かったよ。」
「共感しました。」
「いつも読んでいるよ。」
という、温かい言葉が持つパワーをひしひしと感じている。

毎日更新して14日目、記事としては18本目。

いつも読んでくれる人がちょっとずつ増え出した。
でもまだ、わたしの文章のファン、とまで思うのは、なんだかおこがましい気がする。

だけど、ずっと読んでくれる人がいるならば。
わたしの文章を読みたい、と思ってくれる人がいるならば。

生み出す側、としてこんな冥利に尽きることはない。


この世は何かのファンになり、なられ。

まずは、わたし自身が、どんどん誰かが生み出す何かへのファン、になろうと思う。

自分が、「いいな」と思うものはいくつあったっていい。

「いいな、」と思っても
「いいね、」と言葉にしなきゃ伝わらない。
当たり前のことだけど。

だからわたしは、最近いいな、と感じたら、
機会があれば、本人に積極的にそう伝えるようにしている。わたしなりになぜそう思ったのか、少しだけ言葉を添えて。


誰かが、他の誰かが一生懸命生み出したものを褒める、それが原動力となり、また素敵なものが生み出される。

ファンになる、ファンになってもらう。



もし、そんな関係性があちこちで生まれるなら。今よりもっと優しい世界になるのかもしれない。

なんて、noteを書きながら思ってみる今日この頃。

#エッセイ   #ファンとは #14日目
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