見出し画像

【中編小説】金色の猫 第26話(全33話)#創作大賞2024

■物語を最初から読む

前話 | マガジン | 次話

読了目安時間:約4分(約2,200字)

 滑らかな木灰もっかいの真ん中へ灯る朱い火に、昨夜の焚き火を思い出す。あの高揚はひとひらの写真によってたちまち静まり、迷霧のうちで黒い火種が燻っていた。
 炉端へ置かれた茶碗を手に取り、熱い緑茶を啜る。掌へ感じるざらついたぬくもりと、口内を満たす健やかな土と豊かな茶葉の香りにふと安らぐ。茶碗に細かく入ったひびを観察していたら、「それ、いいでしょう」奥から作務衣を纏った羽衣石ういしが出てきた。

 琴乃の家から小竹向原駅のホームへ下り、なんとなく先へ来るほうの下り列車へ乗った。日曜日は店の定休日だからだれもいないはずなのに、自然と足が月浜亭つきはまていへ向いていた。
 たまたまガレージの前で椅子の塗装をしていた羽衣石が俺に気づき、そこからほど近い羽衣石の家へ俺はいる。築九十二年の古民家をリノベーションしたというその家は、宿屋のような風情があった。
「尻、冷えない? これ、どうぞ」
 羽衣石が寄せてくれた敷物のひぐまと目が合い、「本物……?」声が震える。「そう、剥製。古いやつだけど」ひとまず座るのは止めておいた。
「で、何かあったんでしょう、彼女? と」
 代わりに羆へ腰を下ろし、羽衣石は茶碗へ口をつける。俺が答えに詰まっていたら、「ま、言いたくないなら、べつに。なんか込み入ってそうだし」と白い饅頭のようなものを齧った。
「ん。南瓜かぼちゃだ」嬉しそうにつぶやき、俺のほうへも大きな絵皿をよこす。
 そこにはこんがりと焦げ目のついた、平たい饅頭が並んでいた。小麦の甘い香りが鼻腔を擽り、俺は朝から何も食べていなかったのに気づく。「なんすか、これ」
「え! 知らないの!」
 格子戸の陰から聞き覚えのある声がして、白いワンピースに赤い半纏を羽織った茉樹まじゅが顔を出した。
「うお! 茉樹さん!」
 今度は俺が声を張り上げる番だった。二つ目の饅頭へ手を伸ばす羽衣石を「え?」と振り返り、ふたたび茉樹へ視線を戻す。
「あーー、ちがうよ? 私たち親戚なの。叔父さんと、姪」
 そう言って茉樹は羽衣石と自分を交互に指した。
「そうなんすか」
「うん、私の母の弟。母と叔父さんがけっこう歳離れてて、だから私と叔父さんは十八……? だっけ。それくらいしか違わないから、そうは見えないかもしれないけど」
「む、これ、切干大根だ。茉樹、切干大根はいらないって言ったのに……」
 羽衣石が二つに割った饅頭を両手に持ち、悲痛な声を上げる。
「俺、切干大根食べられるからもらいますよ。なんだかよくわかんないっすけど」
「あ、そうそう、それはね、おやきって言って、長野の郷土料理! 叔父さんは違うけど、私の地元。たしか切干大根と……野沢菜と、南瓜と、きのこと、あと、昨日もらったさつま芋! が、あったはずなんだけど……どれがどれだかわからなくなっちゃった」
 怪訝な顔で大皿の上を見つめる羽衣石を後目に、茉樹はけたけたと笑う。
「んで、おふたりは一緒に住んでるんすか」
 切干大根を咀嚼しながらふたりの顔を窺う。程よい硬さの生地に塩辛いおかずが包まれたそれは、空腹を満たすのにちょうどよかった。
「うん、私が万引き繰り返して、長野にいられなくなっちゃって……それで、まあ、いろいろあって、叔父さんのところに」
 茉樹は襖を開けて分厚い座布団を二枚出し、一枚を俺にくれた。羆じゃないのもあるのかと、野沢菜のおやきを頬張るおやじを横目に思う。
「いくら親戚っても、ふたりって、その……気まずくないんすか」
「いや、べつに?」茉樹が首を傾げる。
「あ、いや、すみません……ただ、めずらしいなって」
「僕が好きなの、男だしね。茉樹からしたら、叔母さんと暮らしてるようなもんじゃない。まあ、女ではないけど」
 羽衣石はよどみなくそう話し、「茉樹もお茶、いるよね」と立ち上がった。茉樹は朗らかに頷き、羽衣石の背が格子戸の奥へ消えてから、こちらを振り向いて「いろいろ、驚いたよね」とほほ笑んだ。
「え、いや、んんん、ふたりが一緒に暮らしてるのにはびっくりしたけど……」
 苦笑いをしながら後ろ頭へ手をやり、髪を結び忘れていたのに気がつく。バッグからゴムを出して髪を纏めていたら、茉樹が「そっちなんだ」と笑った。「え?」聞き返したが、彼女はお団子頭を横に振った。「なんでもない」

 やがて木盆を手にした羽衣石が戻り、空いた茶碗へ緑茶を注いでくれた。真っ白な湯気が爽やかな甘い香りと共に、見事な梁の天井へ昇っていく。ここへいると脳を満たしている迷霧が耳からしゅるしゅると抜け、灰や土、そして木へと吸い込まれていくように思えた。仄昏い天井を仰ぎ、伸びらかな木目へ視線を這わせていたら、茉樹に名を呼ばれた。
「桂一くん、しばらく、うちへ泊めてあげたら。このとおり広い家にふたりで、部屋あまりまくってるし。このままじゃ彼、また路上生活よ」
 正確にはネットカフェだったが、訂正するのを諦めて俯いた。
 羽衣石は渋い顔で長らく天を仰いでいたが、ようやくぶっきらぼうに「まあ、いい」と首を縦に振った。但し家が借りられるまとまった金ができるまでの期限付きで、それまで給料から食費を差し引くというのが条件だった。
「今は私が掃除と洗濯、あとおやき担当で、叔父さんが炊事とゴミ捨て、あとザムザ、あ、すなわちゴキさんね、担当なんだけど……桂一くんのは追い追い、決めてこ」
 というわけで、拍子抜けするほどあっさりと僑居きょうきょが決まった。

前話 | マガジン | 次話

■物語を最初から読む

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?