見出し画像

今週の読書 5/9

そうやら今の自分は1週間に1冊のペースらしい。

ヒトの目も、バラバラっと読むと言うより、目を通しているが、結構面白い。でも読めていない。

溺れるものも、体感が苦しくてなかなかじっくり読めずだが、少しづつ進む。

「意思の疎通」の章。収容所の中でも言語を解するか否かと言うことも大きなことだったようだ。ドイツだけで行われたことではないことが分かる。「サラの鍵」でも触れられていたが、フランスやその他東欧などからも収容所に送られており、言語が違う人たちもお構いなくだったようだ。目的は、労働力として極限まで使うこと、死なせることだから当たり前だ。代わりはいるのだから、コミュニケーション取れないものは死なせれば良い、それだけだ。知識人であっても収容所の言葉遣いのようなものが染み込むと言うような話があり、興味深い。その集団に属していたことが言葉にも影響を及ぼす。ちょっとしたスティグマだ。

「無益な暴力」の章のまだ途中。無益な暴力はないと言う。なんらかの意図をもって用いられるのが暴力だ。暴力を行う側にとっては無益ではない。とても嫌な話だが、それは筋が通っている。自分も人は理由のない行動はとらないと思っている。行動者はなんらかの利益をどこかで得ている。ここでは徹底的にぞんざいに扱われること(ありえない人数をトイレもなく、車両に詰め込み長旅をさせる、集団で裸にして毛をそる、荷物を奪う、食事をするのに皿だけ渡してスプーンを与えない、などな)、で、それに慣れていくと、自分はそう言う扱いを受けても仕方のない存在だと思うようになり、抵抗することを忘れ、甘んじて状況を受け入れるようになるようだ。そう言う意味では、収容所でのあらゆる行為は、理にかなっている。輸送から何から全てが目的に沿って体系立てられ、マニュアル化されている。確信犯だ。なぜナチスが人間心理をここまで理解していたのか、つぶさに人を観察していたのかよく分からない。そこになにか、抵抗や葛藤はなかったのだろうか。

「エルサレムのアイヒマン」でアーレントが書いていたのだったかうる覚えだが、ナチスは徹底した分業で、仕事の領域がかなり決められていた。それらのパズルのピースを全てはメルとユダヤ人虐殺という絵が浮かび上がるのだが、巧妙に各人が全体像を掴めない、薄々気づいても考えさせないような仕組みを作っていたような印象を受けた。自分は目の前の与えられた仕事をしていただけです、という。

ここでも人間の心理を巧妙に利用していて、驚かされる。ここまで人間を観察し、悪意に満ちた方法でコントロールし、虐殺を行ったナチスとはいったいなんだったのだろうか。

少し脱線してしまったが、「溺れるものと救われるもの」は、あと残り4章。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?