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【第3回〜その時の私〜】ユーザーエクスペリエンス(UX)を高めるために

人間誰しも人からの見られ方は多様である。それと同じくらい、過去の自身の積み重ねが現在に与える影響は計り知れない。
そのような前提をもとに、過去の下書きに入れていて掲載しなかった文章をあげていく。
そんなシリーズ第3回目の文章は2020年6月20日に書いた文章である。

小売業としての顧客の体験価値をどうあげていくのか。現状の分析と今後の方向についての思索であり、具体的な結論までは導き出せてはいない。

これを受けて自身がどのようなアクションを起こしているのか自身に問いたい。

過去の私が教えてくれることがあるかもしれない。

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【ユーザーエクスペリエンスの重要性】
リアルベースのサービスはここを高めないと淘汰されていく。
そのためにはデータが必要で、ただ、百貨店を中心とする商業施設はほとんどモノ持っていないから、①何をカスタマーが買っているか詳しくてもアイテム別でしかわからない。

また、陳腐化された体験でない②非日常な体験及び日常の中の体験をどう演出するか。
①と②の課題をどう解決していくかが非常に重要になってくる。

商業施設全般に言えることで、コンテンツもそうだけど、館の進むべき進路を顧客にも従業員にも具体的に分かる形で示していかないと行けないのではないか。
誰にどんな価値を提供するか。
今、百貨店業は総体として、
対象→感度の悪い人に
価値→無難なモノを売る場を提供し消費欲を満たす
施策→昔から付き合いのある取引先に販売員とモノを貸し出してもらって販売してもらう
という価値と行為になっているのにも関わらずそれを認められていないから、ちぐはぐな施策しかでてこないのかなと。
「良いものが置いてまっせ」という看板だけ残して上記の価値を提供しているから、体験が陳腐化し期待ハズレになってしまう。販売部長とか販売部、商品部長とか商品部という呼称も止めたほうが良い。売り場は販売支援部とかオペーレーション部、本部は営業部とか渉外部に替えたほうが良い。

話はそれたけど、オムニチャネルを目指した時代と同じように、OMO的な技術を導入しても、社内の仕組みが変わらなければ活用されないのかなと。(鶏と卵の話っぽいけど)
例えば、リモートワークのシステムを導入したけど、契約書でいうと起票者も含めて、数十人の確認印が必要な状態決済の仕組みが邪魔して、出社しないとどうにもならない。みたいな話もある。

【大きな物語の復活?!】
企業がなにかテクノロジーを導入し、仕組みそもそもを変えていくには、企業という共同幻想を存立させうる「大きな物語」から、誰にどんな価値をなぜ我々がどんな方法で提供するのかということを浸透させなければならない時代になっているのではないだろうか。
どこに位置しているのか?どんな背景があって何をやるのか?
ここを従業員に理解させるためには、絶対に"善い"とされることなどをベースに神話じみたものを構築する必要がるのだろう。

また、個人が発信者となるこの時代においても同じこと。特にそのメディアでの立ち位置が後発組に入るのだとしたら、応援しやすい物語。それも"善い"とされるところから個人的な体験まで落とし込んだ物語こそ支持されうる物語になるのでないだろうか。

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