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[miwa] 衰退なくして成長なし 〜大人になってからの「できない」という経験の大切さ〜

執筆者:miwa|総合案内人


こどもの頃はできないことが当たり前で、
大人はいろいろなことができて当然。
私は最近までそんな風に思っていました。

若い頃に苦労をしておけという話があるのはなぜか。
それは大人になってから新しいことに挑戦するのが難しくなっていくから。
なぜなら、大人になるほど「できない」という経験を味わうことに耐えられなくなっていくから。
衰退に対する精神的ショックが大きくなるからです。

大人ならいろいろなことができるはずだし、オールマイティにできる人ほど優秀な大人である、
そして、大人代表が「親」であり、親は大人だと、私は漠然とそう思っていたんです。
8年前、母親になった日から、私はまともな大人になったような気持ちでいました。
親は子に常識を教え、しつけをして、こどもたちが立派な大人になるように導いていくものだと思い込んでいました。

ですが、私の魂はどうやらここで学びを深めるように設定をしたようです。
生まれてきた2人のこどもたちは、私の固定観念をグッシャァァと砕いていき、
私に「できない」という経験をたくさんさせてくれました。

当時の私は「できない」ことにフォーカスし、意識を向け続け、長い間ずっと悲劇のヒロイン状態でした。

・真冬の2月に半袖裸足サンダルで外に出る娘。
→上着ひとつ着せることができない私。

・頑なに手を洗おうとしない娘。
→手洗いさえ身につけさせられない私。

・夜、リビングから寝室に移動するのに1時間半、自転車置き場で自転車に乗せるのに40分かかる息子。
→このたった数メートルの距離ですら移動させることもできない、ただ自転車に乗せることさえできない私。


こんな風に単なる事実のひとつひとつを「できない私」と変換ばかりしていたために、その周波数が宇宙に送信され、その周波数と同じ現実が目の前に集まってくるようになりました。
こどもたちは私の作ったご飯は食べず、頑なにお風呂を嫌がり、着替えず、学校や園への行き渋りを始め、どんどんと(順調に)負のループに陥っていきました。

母として、何ひとつまともにできない。
自分なんて何の力もない。
そう思えば思うほど、そういう現実が目の前に現れていきます。

ずっと理想の母を演じたかった私に、そもそも母親はこうあるべきだというその理想像を捨てなさいというメッセージがたくさん降りていました。

色々あって、最終的にどうなったかというと、
うつ症状が徐々にひどくなり、簡単な料理もできなくなっていき、
息子の通園先がもうすぐ春休みに入る、息子の介助や補助がまた24時間になる、
これはもうできそうにない、これ以上我慢すれば子どもたちに暴言や暴力が出るだろう、
とそう気づいたタイミングで
児童相談所にこどもたちを2〜3ヶ月預かってほしいと問い合わせました。

「2〜3ヶ月ですか?!(2週間じゃなくて?)」と最初に電話をとった方、繋がった担当の方、その上の立場の方みんながその期間の単位に驚き、何度も2度聞きされました。

ですが私は
「2〜3ヶ月です。市のショートステイは2週間までだと知っていますが、それでは足りないんです」
と何度も毅然とした態度で答えました。

なぜ2〜3ヶ月という期間を動揺せずはっきりリクエストできたのかというと、

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