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幼稚園とはひたすら相性が悪かった自分

私は幼稚園のころはとにかく劣等生であった。
私が通っていたのは体育教育を重視した幼稚園だったのであるが、私は運動が苦手なので、まずシンプルに相性が悪い。

その幼稚園では登園するやいなや登山をする。
裏山に山頂からロープが垂らしてあるのだが、園児たちはそれをつかんで一列になって登っていく。

体力、筋力、脚力、根気と登山に必要なほとんどの能力を持ち合わせていなかったので、朝から大変な苦行であった。

あと何年か続けていたら軽く悟りが開けるかもしれないというくらい辛かった。

その後はマット運動、跳び箱、鉄棒などの器械運動の時間であった。関節の可動域が著しく狭い私はここでも苦境に立たされる。

前転や後転など難なくクリアしていくクラスメートたち。私の番になって挑戦するものの案の定できない。

私はかなり小さなころからこのような状況への私なりの対応策を見出していた。
それは前転などができなかった後に曖昧な愛想笑いを見せることである。

「できなくて恥ずかしいなあ」「調子が悪かったなあ」「失敗しちゃったなあ」などの感情を全て包括する愛想笑いである。

先生や友達は私ができないことなんかとっくに分かっていて、決して調子が悪いわけでも、失敗したわけでもないことを知っていたとは思う。

しかし私はほんのちっぽけな自尊心を守るために曖昧な愛想笑いを浮かべる必要があった。
あいまいな愛想笑いをすることによって「たまたまできなかったんだ」ということにしてしまおうという子どもなりの心の防衛手段である。

こう表現するとなんだか繊細でかわいそうな子どもであるが、周りから見れば前転や逆上がりができないのにニヤニヤしている気持ち悪い子どもだっただろう。

また、できなかったのは運動のことだけではなく、自分の身の回りのこともままならなかった。

私は「途方にくれる」、英語でいうなら「at a loss」という感情を人生ではじめて味わった日のことを覚えている。

それは年中組の時、登園バスの中での出来事だった。
その幼稚園は家から体操着を着て登園させるスタイルだった。幼稚園での着替えはない。運動をさせたくてしょうがない幼稚園だったので、登園後すぐに登山などの活動ができるようにとのことだったのだろう。

私はバスの中で体操着のズボンが前後ろ逆だということに気が付いてしまった。
幼稚園の年中組である当時は、それが大問題でかなり恥ずかしいことだと思った。
やばい!反対だ!どうしよう!と軽いパニックになった。

そして、どうにかしてズボンが反対にならないかもぞもぞ動いていたのでかなり不審な子どもに見えたことだろう。

大人になってしまえば大したことじゃなかったと思えるが、当時はまさに途方にくれた。

登園後すぐに登山が始まるので、直す時間はない。おまけに登山は列になって行うので、列の後ろのクラスメートには100%ばれる。ばれたら笑い者になる、と当時の私は相当悩み抜いた。

これこそ「途方にくれる」である。私の「途方にくれる」原体験はここにある。

ただ登園後すぐに先生が気が付いて、さっと直してくるように促してくれたので事なきを得たのであるが、幼稚園のころの思い出というとこのような情けないものばかりである。

私の父も子ども時代に「幼稚園の先生が怖い」との理由で登園拒否児だったらしいので、私の子どもはどうなるかと心配していた。

三代続けて、園にろくな思い出がないというのは悲しい。園に悪い印象をもつ悲しい家系的特徴は、なんとか自分の子どもにだけは受け継いで欲しくない。

幸いそんな心配なんてまる嘘だったように、私の子どもたちは保育園に楽しく通っている。

お迎えに行くと「もっと遊びたかった!」と言うことすらある。
私は子どもの時幼稚園にいる間ずっと、幼稚園から一刻も早く帰りたいという感情以外は一切もたなかったので驚きである。

園には裏山もなければ怖い先生もいないので、子どもたちはわりと幸せな園ライフを送れているようだ。

保育園の先生たちには本当に感謝している。

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