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夕暮れと連続性

私の住んでいるマンションは空がわりとよく見える。4歳の娘はリビングの席の関係上、食事をする時に空がよく見える。

娘にとって夕暮れというのは不思議な現象なようである。「空がオレンジになってきたよ?下の方はピンクだよ」

ちょっと暗くなってくると「オレンジ消えちゃったよ、紫になってきたよ」などとご飯を食べながら空の変化の様子を逐一報告してくれる。

そして必ず聞くのが「今は朝?夜?」ということである。娘にとっての朝は太陽が出ている時間を表していて、昼も含まれている。

「朝でも夜でもなくて夕方だよ。朝と夜の間だよ」と伝えても納得できない表情である。

朝でも夜でもないなんかはっきりしない時間というのは、4歳の娘にとって分かりにくく不可解なものであるようだ。

ここで感じたのは世の中には多くのことがはっきり分かれているのではなく、連続的なんだなということである。

昼が終わったら一瞬で暗くなるわけではなくだんだん暗くなっていく。

ここでふと、連続性がないと一般的に思われていることも、実は連続的だということがあるという例を思い出した。

それは生と死である。
生と死は両極端で連続性がないように感じる。

しかし20年くらい前に読んだ立花隆さんの本で、そうではないということを学んだことを、連続性を考えていく中で思い出した。

それは脳死と臓器移植に関する本であった。
ここで書かれていたのはどうなったら「死」と決めるかは恣意的であるというかことだった。

臓器移植を可能とするために、大脳、小脳、脳幹など脳のすべての部分に不可逆的なダメージがあれば、心臓が動いていても「死」とみなすことにするということについての議論であった。

脳幹に不可逆的なダメージがあれば、精神的だったり身体的だったりする活動をいっさい行えない。ただ心臓は動いている。

これを「死」と言って良いのかという話であった。

立花隆さんによると、人は急に死ぬのではなく、生から死に向けて連続的に進んでいくというのである。

例えば、精神的な活動を司る大脳はダメージを受けているが、脳幹は機能している段階がある。

この状況においては意識はないが、身体的には生きていると言える状態である。

生きること死ぬことについて、連続的に考えたことがなかったので私は大きな衝撃を受けた。


私は今、子育てという究極の連続性と向き合っている。

子どもは急に大人になるのではない。
子どもは日々の暮らしの中で、少しずつ大人に近づいている。

将来、子どもが自信をもって「大人になった」と言えるように毎日の連続性を大切にしながら子育てを頑張りたいと思った。

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