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父の書いた文章を読んだらいつもと全然違う父を見つけた。

私の父は家でほとんど喋らない。
小さいころからずっと今までそうであった。
父と会話らしい会話をした記憶はほとんどなく、返事くらいしか聞いたことがない。

だからいつも何を考えているか分からないし、無口でたまに怒る人というくらいの認識であった。

私は18歳の時に実家を出て、東京の大学に行くために一人暮らしをしてそのまま関東地方に住み続けているので、大人になってからも父とゆっくり話すという機会もないままであった。

だから相変わらず父のことを知らないままでいたし、別にそれほど興味をもつこともなかった。

しかし何年か前に実家に帰った時にその印象が変わる出来事があった。

実家に帰ってのんびりしていると、父と母は用事があるので私をおいてどこかに出かけて行った。
この当時は私に子どももいなくて、実家に帰っても暇で時間をもてあましていた。

見慣れた実家をぼんやり眺めていると、わりと目立つ場所に見慣れない雑誌が置かれているのに気が付いた。

私は読むことが好きな活字中毒者であるので、なんだろう?と手にとってみた。


それは父の高校の部活の30周年記念誌であった。父が高校でバスケットボール部にいて一生懸命やっていたことは母から聞いていた。(母は父と小学生のころからの同級生なので、父のことに詳しい)

部活をしていたことは知識としては持ち合わせていたが具体的なことは何ひとつ知らなかった。

父と母がいる前ではなんとなく読むことが憚られるが、幸い今は出かけている。

チャンスとばかりに読んでみることにした。
記念誌はそれぞれの代がどのような戦績だったか記録してある他、多くのOBから現役だった頃の思い出話が寄稿されていた。

まさかと思いつつ目次を見てみると父の名前があった。父も文章を書いて送っていたようなのである。
勝手に読むのは申し訳ないと思いつつ、好奇心がまさり、こんなとこに置いておく父が悪いということにして読み始めた。

それを読んで驚いた。饒舌なのである。文章なので饒舌というのもおかしいのであるが、これは明らかに饒舌な人が書いたと思わせるような文体なのだ。

コミカルかつ軽妙に合宿所でのイタズラ話や、怖い顧問からどのようにして怒られないように振る舞うか、同級生が恋をした時の様子が綴られている。

この文章だけを読むと陽気なおじさんが思い出話を楽しげにしているというような雰囲気なのである。

そしておまけにキャプテンをしていたことも文章を読み進めていくうちに明らかになった。
あんなに無口なのにチームメートと意思疎通が図り、チームをまとめられたのかと心配になった。

ただ外での父を知らないので外ではひょうきん者なのかもしれない。
文章ではそれが伺い知れる。
家と外では全然違う人格な人もいるのが、父もそんな人種の一人なのかもしれない。

ひょうきん者がおだてられてキャプテンになってしまったのかなと父の文章を読んで思った。

父の文章を読んでからだいぶ父の印象が変わったように思う。
あいつはもしかしたら無口の皮をかぶったお調子者ものなのかもしれない。家族にはそれを巧妙に隠していた。

この文章を読んだ日に出かけ先から戻ってきた父に、ちょっと意地悪がしたくなり「あの雑誌(部活の記念誌を指して)前からあった?なんの雑誌?」と聞いてみた。

「分からん」と父は答えた?
うちの父は本当に分からないこと、答えるのがめんどくさいこと、答えたくないことの全てに「分からん」と言う傾向がある。

この日はきっと答えたくない時の「分からん」だったのだと思うが、いつもにはない狼狽を含んだ「分からん」だったことを私は聞き逃さなかった。

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