君のアパートは今はもうない、僕のアパートは今でもまだある。
スピッツが好きである。
好きな曲はいくつもあるが、「アパート」という曲が大好きだ。
この記事のタイトルの一部はこの曲の歌詞を引用させてもらった。
スピッツの曲はとてもせつない。歌詞が特徴的でものすごくいい。草野正宗さんの歌詞は独特の雰囲気があり、受け取り側にいろんな解釈の余地がある詩だと私は思っている。
そのような点もスピッツの魅力の一つであり、スピッツが多くの人に愛されている理由だと思う。草野正宗さんの曲を聴いてそれぞれの人がその歌詞を受け取って、その人なりの物語にしていく。そんなことができるのはスピッツならではなのかなと勝手に思っている。
そんな中で「アパート」という曲である。これは私なりの解釈であるのだが、過去の恋愛に思いを馳せている曲なのかなと思っている。
今はもうない君のアパートで、君と過ごしている時のことを思い出して懐かしんでいるのかなと思い、なんだかしんみりする大名曲である。
そんなしんみりした名曲のことを考えていたら、私も過去に住んでいたアパートに関することを思い出してきた。
私は過去に10回以上住む場所が変わっている。引っ越したのはいろんな事情があるのだが、ほとんどはアパートと形容できる場所に住んでいた。
アパートとマンションの明確な定義付けはおそらくないが、私が住んでいたのはおそらくアパートだった。
私が産まれてはじめて住んだのは、父の会社の社宅であるアパートであった。4歳半くらいまでしか住んでいないので微かな記憶しかない。思い出もほとんどない。富士山が窓から見えたことくらいしか覚えていない。
しかし、大人になってから妹とそこに行ってみようという話になった。産まれてはじめて住んだ場所は静岡市で、その時に私や妹が住んでいたのは川崎市であった。
父と母にはじめて住んだ場所の詳しい住所を聞き、カーナビに入力して行ってみた。
そこにはアパートがまだあった。しかしそこは父の会社の社宅ではなくなりリフォームされていて、私が住んでいた当時とは雰囲気がちょっと違う。
妹はこの家に1年半しか住んでいないので、記憶はないようだ。「お兄ちゃんどう?懐かしい?」と聞かれたので「懐かしい感じもするし、こんな感じでもなかった気もする」と微妙な返答をした。
ただ自分たちの原点という場所を確認して、これはこれでいい経験になったと、妹と一緒に納得できたことは良かったなと思っている。
そしてそんな懐かしい気持ちに浸るのもたまにはいいなと思う。
幸いなことに現代では、昔住んでいたアパートに直接行かなくてもその姿を確認することができる。
それはなぜかというと、Googleマップのストリートビューがあるからだ。ストリートビューを見ているとまるでその場所に行ったかのような気持ちになる。
私は昔を懐かしがりたい気持ちになった時は、Googleマップのアプリを起動して、昔住んでいたアパートを訪れる。
そして周辺を散歩(Googleマップマップ内で)してみるのだ。例えば大学生の頃住んでいたアパートの周囲を探索して、いつも買い物してたスーパー、よく行ったラーメン屋さん、好きな子がバイトしていたカフェなどがまだあるか確認する。
お店がなくなっているとがっかりするし、今でも健在だとなんだか嬉しい。
お店がなくなって、別の新しいお店になっているとどんどん新しい未来になっているのだなと思うし、昔からのお店がまだあると過去と現在が繋がっているのだとも思えて、心が動かされるのだ。
テクノロジーの進化によってスマートフォンを持っていて、アプリを起動するだけで心が動く。不思議な世の中になったものだとつくづく感じる。
昭和生まれとしては、テクノロジーの進化への戸惑いはもちろんある。
しかし、上手く使えば面白いことがあるんじゃないかと漠然とした期待感もある。
今夜はなんだかスピッツのアパートに思いを巡らせて、昔住んでいたアパートをストリートビューで巡りたい気持ちになった。
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