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運動音痴で最高に不利益だったあること

私はおおよそすべての運動が苦手である。逆上がり、二重跳び、逆立ちなど、これまでの人生で一度も出来たことがない。

運動ができないことでたくさんの不利益があった。小学生のころモテない、中学校や高校の体育祭で迷惑をかける、大学の必修の体育の授業でヒソヒソ笑われる、職場の親善バレーボールであまりのできなさに同情されるなど各年代で確実に恥ずかしい思いをしてきた。

でも一番何が不利益だったかと言えば、それは中学と高校時代に、運動部として活動ができなかったということである。中学生、高校生は学校生活の大きな部分が部活にあると思う。

授業で学んだことは覚えていなくても、部活をして大変だったこと、でも頑張ってやり遂げたこと、仲間と共に悔しかったり嬉しかったりしたことを覚えている人は多いだろう。

日本の教育力の高さの中心として、部活が大きな役割を果たしていると、私は思っている。運動系の部活で仲間と共に協力して成し遂げるという経験は、日本の社会で必要な協調性や努力することの大切さを学ぶ絶好の機会である。

私はバスケットボール部に入ったが、ついていけなさすぎて、すぐに辞めてしまった。
学力はそこそこあって勉強はできたのだが、大切なことは勉強では全くなかった。

特に社会人になってそう思うようになった。私は仕事をし始めた時、自分の仕事さえちゃんとしていれば評価をされるし、問題ないと感じていた。

しかし、仕事とはそういうことではないのである。勉強は自分が努力して偏差値を上げればいいという、完全に一人の世界である。自分さえ良ければいいという楽な世界である。

仕事はと言えば、周囲と協力して同じ目標を達成していこうとする必要がある。特に私が就いた仕事は成績が数字で表れることがないので、みんなで協力して仕事をしている、という過程も大事にされる。

自分さえ頑張ればいい、という私のやり方は完全に間違っていたのである。

仕事を始めて15年経ちようやく周りの人と協調しながら、成果を出して喜びあったり、協力している過程を楽しんだりして、それをやりがいに働けるようになってきた。
部活をやっていた人はこんな経験を中学生のうちからしていたんだなと羨ましく思っている。

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